尾張/ 知多・緒川古城



ファイルNo0579

                    土壇と城址碑           

@ おがわこじょう 
  別名  緒川城

A住所:知多郡東浦町緒川 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:公園・宅地・畑地

F遺構等:土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/水野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2003年07月

  

【道案内】 

大府より国道366号線で東浦町に入り、役場東の信号で右折し県道24号線に入ります。次の信号(東浦町役場前)手前で右の小道に入ります。小道を300mほど進んで右に曲がった右角の小公園が城跡です。公園にはさらに右へ回り込んでください。




【訪城備忘録】

主郭は小公園で櫓台跡と思われる盛り上がりが残ります。ここに城址碑と説明板があります。近くにはこの地は徳川家康の母於大の方の誕生地であるため於大公園という公園があります。(なお、近くの乾坤院の山門は新城の城門の移築とされてましたが、違うようです。)

【歴史】

文明七年(1475年)に水野貞守が築きました。以後、−賢正−清忠−忠政と続き、忠政(徳川家康の母の於大の方の父)は刈谷城を築き、緒川城は子の信元が居城しました。忠政の死後、天正三年(1575年)に水野信元は織田信長に武田氏との内通を疑われ、家康の命にて暗殺され緒川城は廃城になります。その後、天正八年(1580年)に水野氏は許され、刈谷城には水野忠重が入り、緒川には水野忠守が緒川新城(別名:高藪城=緒川城の東側300m)を築いて居城としますが、正保元年(1644年)に廃城になります。<現地案内板・資料 参考>

  
乾坤院の山門
     
  

近くの城・関連の城:緒川新城