尾張/ 大高城



ファイルNo0557


                 主郭           

@ おおたかじょう 
  別名  −−−−−

A住所:名古屋市緑区大高町本町城山 
B目標地点:大高小北側
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:土塁・堀・石碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/花井氏・山口氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2002年06月

  
空堀

【道案内】 

国道1号線で名古屋中心部から来ると天白川を越えて500m先の京田の信号で右折し県道23号線に入ります。1Km先で新幹線・東海道線を越え、さらに道なりに進みます。大高駅前を越えて800m先の左手大高中学校手前県道が左折する箇所で逆に右折し大高小学校を目指します。小学校が左手で右手奥が大高城ですが、周りは道が狭く車の場合は小学校付近で車を止めて保育園の手前を右に路地を入っていくと200m程度で城跡(大高城跡公園)に着きます。



【訪城備忘録】

大高小学校側(南側)から入ると主郭手前の藪に空堀が残ります。主郭は館跡ということでしょうか、特に公園整備されてないようですが広い平坦地となっています。公園の西側出口に城址碑があります。


【歴史】

永正年間(1504〜1521年)に花井備中守が在城、天文・弘治年間(1532〜1558年)には水野忠氏父子が在城したと伝えられます。水野氏は当初は今川方でしたが、後に織田方に属しました。永禄二年(1559年)に鳴海城主の山口左馬介が織田に背いて大高城と沓掛城を攻め取り今川方へと寝返りました。織田信長は、丸根砦と鷲津砦を築き今川方の大高城への連絡網を断ち切ろうとしました。今川義元は松平元康(徳川家康)に大高城へ兵糧を入れることを命じ成功させました。桶狭間の戦い後、大高城は廃城になりますが、元和二年(1616年)に尾張藩家老の志水忠宗がこの地に館を設け明治維新まで続きました。

  
城址碑(主郭西側下)
     
  

近くの城・関連の城:鷲津砦 丸根砦