尾張/ 大高城



ファイルNo0557


                 主郭           

@ おおたかじょう 
  別名 

A住所:名古屋市緑区大高町本町城山 
B目標地点:大高小北側
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:土塁・堀・石碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/花井氏・山口氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2002年06月・2024年04月

  
説明板

【道案内】 

国道23号線で名古屋中心部から来ると大高シンタ南の信号で右折し県道23号線に入ります。1Km先で新幹線・東海道線を越え、さらに道なりに進みます。約500m先の瀬木川東の信号で県道は左折です。約1,6km先右手が大高駅です。車はこの辺のコインパーキングに停めて、大高駅の東端の前の道を入ります。約200mで鶴田の信号を越えます。さらに約50m先で大高川を越えます。約100m先を右折し、約200m先の路地に左折します。(角に城跡の標識があります。) 約100m先(城跡の標識有)の路地を左折した約100m先が大高城の城址碑です。この上が城跡です。 または、大高小学校を目指します。小学校が左手で右手奥が大高城ですが、周りは道が狭く車の場合は小学校付近で車を止めて保育園の先を右に路地を入っていくと約200m程度で城跡(大高城跡公園)に着きます。道は狭いので路駐はきびしいですが。



【訪城備忘録】

公園の西側出口に城址碑があります。主郭はただっ広い広場です。右手が一段高くなってます。主郭の先が土橋になっていて両サイド、藪になってますが、深い空堀が残ります。西側はまで見ることができますが、東側は藪がきつくて下りる気にもならんかったです。土橋の先にも平坦地があり、その西側側を下りていくと大きな平坦地があります。さらに、土橋からまっすぐ大高小学校側(南側)へ下りると城域端に空堀の痕跡があります。


【歴史】

永正年間(1504〜1521年)に花井備中守が在城、天文・弘治年間(1532〜1558年)には水野忠氏父子が在城したと伝えられます。水野氏は当初は今川方でしたが、後に織田方に属しました。永禄二年(1559年)に鳴海城主の山口左馬介が織田に背いて大高城と沓掛城を攻め取り今川方へと寝返りました。織田信長は、丸根砦と鷲津砦を築き今川方の大高城への連絡網を断ち切ろうとしました。今川義元は松平元康(徳川家康)に大高城へ兵糧を入れることを命じ成功させました。桶狭間の戦い後、大高城は廃城になりますが、元和二年(1616年)に尾張藩家老の志水忠宗がこの地に館を設け明治維新まで続きました。

  
城址碑(主郭西側下)
     
空堀
  
現地案内板より

近くの城・関連の城:鷲津砦 丸根砦 ※

          

主郭
主郭西側(一段高い)
主郭西側(一段高い)を南側から
空堀(土橋方向)
空堀
城域端の空堀痕跡