西三河の城019

                                                                               

本多重次生誕地 0959
本多重次生誕地碑
犬頭神社
A 岡崎市宮地町郷西 B犬頭神社 C平城
岡崎城の西、国道1号線と国道248号線の交差点「八帖」の信号を国道248号線で南下します。「六名1」の信号で右折し県道293号線に入ります。1.5Km先「上和田西」の信号を越え、800m先の法性寺町荒子の信号を左折し、400m先の法性寺を過ぎたところで左折、200m先右手が犬頭神社です

F遺構等:碑  G室町期/本多氏  H満足度:凸

ここの本多氏は伊奈本多氏系です。本多作左衛門重次は三河三奉行の一人で鬼作左と呼ばれました。 越前丸岡で書かれた日本一短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は有名です。重次は家康命みたいな人であったようです。子の成重は丸岡四万六千石となりますが、四代重益は家中の内紛で改易されました。

重次の居城(居館)は大平村(現:岡崎市大平町)にあったようです。

J訪城:2004/04
堤本地城 0961
八幡神社下の城址碑
A 豊田市堤本町 B堤本町八幡神社 C丘城
国道1号線知立市内の宮越の信号で国道155号線に入り豊田方面に向かいます。600m先の駒場町新生の信号で左折し県道284号線に入ります。4.5Km先の堤本町本地の信号を越え300m先の左手奥に八幡神社があります。ここが城址です。(堤町にも八幡神社がありますが、こことは別です。)

F遺構等:碑  G南北朝期/畠山氏  H満足度:凸

南北朝の頃、尾張守護畠山家国の六男の畠山八郎が居城したと伝えられます。室町中期には廃城になったようです。

J訪城:2005/07