西三河の城007  

                                                                               

知立城  0315
城址碑
A 知立市西町 B了蓮寺   C平城
知立市内の国道1号線と国道155号線の交差点宮越から<ここは実際は高架になっており国道155号線は1号線を高架で越えます。> 国道155号線へ400m先の西町の信号で左折し50mほどでまた左折し了蓮寺手前の小公園が城跡です。

F遺構等:碑・説明板  G平安期末〜/永見氏  H満足度:凸

元々知立神社の神主であった永見氏の居館とされます。史料には、十三代貞春が後白河上皇の北面の武士として保元・平治の乱にその名が記されいるとのことです。二十九代貞英まで続きましたが、永禄三年(1560年)に今川義元よって落城しました。その後、天正年間(1573年〜 本能寺の変が天正十年(1582年)ですから、この間)に刈谷城主水野忠重が織田信長を饗応のため整備、江戸期に入り、寛永年間(1624〜1643年)には将軍上洛用(元和九年(1623年)に家光が将軍となっているので寛永初期の上洛時)に御殿が増築されましたが、元禄十二年(1699年)に大地震で倒壊しました。 <現地案内板より>


J訪城:2004/07
  
今橋城 (来迎寺城)  0254
城址碑

今橋城そば一里塚
A 知立市来迎寺町 B来迎寺  C平城
名古屋市方面から国道1号線で来ると、知立市内の山町北の信号を越え、名鉄三河線の高架を越えたところにある信号を斜め左に入ります。(旧東海道) 国道419号線(牛田インタ)を横切り、800m先の来迎寺公民館手前で左折し突き当たりの来迎寺が城跡です。(来迎寺町の信号手前200m)

F遺構等:碑・説明板  G戦国期/−−氏  H満足度:凸

詳細不明 矢橋古城との関係があると考えられているようです。

J訪城:2002/07
   
牛田城  0255 
城址碑
A知立市南陽2丁目 B−−−−− C丘城
名古屋市方面から国道1号線で来ると、知立市内の山町北の信号を越え、名鉄三河線の高架を越え、1.4Km先の牛田の信号の次の前田の信号で右折します。名鉄線のガードをくぐり250m先の知立団地西の信号を右折しすぐ左折さらにすぐ右折した路地の道沿い左側の民家の横に城址碑があります。

F遺構等:碑・説明板  G戦国期/牛田氏  H満足度:凸
天文年間(1532〜1555年)に牛田玄蕃頭政興が刈谷城主の水野忠政の命を受けて築城した城です。この城は対今川氏・松平氏に備える城でした。永禄三年(1560年)の今川義元上洛の際、桶狭間の戦い前後に落城あるいは廃城になったと考えられています。 <現地案内板より>

J訪城:2004/10