西三河/ 大坪城



ファイルNo0758

小ぶりながら畝状竪堀が明瞭な形で残っている城

               主郭南側下畝状竪堀 

@ おおつぼじょう 
  別名  

A住所:豊田市大坪町 
     旧:東加茂郡旭町大坪大入
B目標地点:笹戸カントリークラブ

C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:畝状竪堀・堀切・土塁
G時代/人物:戦国期/−−氏
H満足度:
凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道入口から15分


J撮影・訪問時期:2005年04月・2006年04月
          2023年05月

  
主郭北側の横掘と土塁

【道案内】 

旧足助町中心部(香嵐渓)より国道153号線を北上、5Km先の新盛で県道19号線に入り3Km先の旧旭町杉本の敷島小学校前の信号で左折し県道490号線を進みます。大坪町の津島神社前で左折し立石寺の前を過ぎ赤い橋を渡り200m先で∧字に曲がりゴルフ場のクラブハウスに向かいます。(この分岐点のところにある丘が大坪古城です。)ゴルフ場進入路を500mほど進むと左に曲がる林道があります。この分岐点のところが広いので車は止めておけます。林道側へ30m進んだところの左側に電源開発の巡回のための細い山道があります。ここから岩の多い沢沿いにしばらく登り、さらに山道を登ると鉄塔の場所にでます。ここからさらに尾根を進むと城跡の西側に到達します。



【訪城備忘録】

ここの城の特長は小規模で竪堀の長さもあまり長くはありませんが、南側に畝状竪堀がある事です。畝状竪堀というより連続竪堀かな。南側の3条の畝堀Bは本当に明瞭です。時期もあるのでしょうが、草木も無く明瞭な形で残っています。小渡城の畝状竪堀より明瞭でした。

それと東側の尾根上は主郭下に堀切と土橋<写真@>が綺麗な形で残っています。東尾根にはその先にも浅い堀切があり、合わせて二重堀切になってます。南下の帯郭は城域西端から主郭南下まで伸びています。ここから、竪堀のように上の郭に繋がった道?があります。これがまた明瞭な塹壕のようなもんです。これは、主郭南下の郭に繋がり、この郭の東側には土塁が横たわり、その東側に畝状竪堀(連続竪堀)があるという感じです。

主郭の東下の大きな堀切から北側へ廻り込むとしっかりとした土塁で通路(横堀?)が築かれており、その先の帯郭は西側の城域端に繋がります。

この周辺は小原市場城、小渡城、白石城にも畝状竪堀があります。愛知県でもこの周辺に集中しています。この畝状竪堀は隣接する岐阜県の明知城にも見られるもので、一定の地域のみの築城共通点であるというのはおもしろいです。その時の当地の築城法の流行?だったのかな・・・? 史料によると周囲の豪族がひとつの城を共同で普請に当ったという記録もあるようです。 この城は小規模なものですが、遺構は見応えありました。旧旭町の城跡では槙本城に匹敵する技巧的な城で、どうしても小豪族の城とは思えません。

2023年、17年ぶりに再訪しましたが、人の手が入った感じですが、城跡整備というわけではないようで、昔に比べ見にくくなったところもあるように感じました。しかし、自分自身の遺構に対して認識違いの部分もあったなとも感じました。

【歴史】

築城時期・城主などは不明ですが、永禄年間の築城ではないかと考えられます。


  
  
主郭側より虎口空間の土塁を見る
  
城跡登城口
  
2006年訪城
東下堀切と土橋
東下堀切
南下畝状堅堀
  
城域への登り尾根

近くの城・関連の城:大坪古城

          

2023年訪城 
切岸  副郭西端  土塁
副郭から主郭方向
  副郭南下小郭(西)と小郭(東)の間の堅堀状 
堅堀状<但し、堀の中に障壁状の区切りがある>
堅堀状を下の郭から
副郭南下小郭(東)と仕切り土塁
主郭から副郭方向      主郭     
主郭東下堀切を主郭から見る
主郭南東下畝状堅堀
主郭南東下畝状堅堀(東から見る)
主郭東下堀切と土橋
主郭東下堀切
主郭東下堀切
東尾根小規模な堀切
東尾根小規模な堀切
主郭北東下
主郭北下切通状と土塁
主郭北下切通状と土塁
主郭北下切通状と土塁
主郭副郭の北下帯郭
主郭副郭の北下帯郭から堅堀
主郭副郭の北下帯郭から堅堀
主郭副郭の北下帯郭から堅堀(2006年)