西三河 | 広見城 |
ファイルNo0247 |
@ ひろみじょう |
道案内 ←登り口 | |||
豊田市内より国道155号線にて北上、愛知環状鉄道と並行に進み、大畑町流下の信号で右折、大畑小の横を過ぎ、伊保川沿いに約1.5Km先、川の反対側の広幡下集会所の横の登り口から登ります。広幡下集会所前には小さな橋がありますが、軽四は渡れますが普通車はややきついかもです。普通車の駐車は約400m先のふれあいゲートボール場前の駐車場をお借りした方がいいかもです。 |
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訪城備忘録 | |||
登城道が地元の方々で整備されたとの情報であったので2022年8月に再々訪しました。夕暮れで日没との戦いでした。(笑) 以前に訪城した時は登城道になるような道は見当たらず、しかたなく、南東麓の畑地の山腹の一番高いところまで登り、その尾根先端に灯篭が立っています。ここより尾根筋を登ると南東の先端の郭に出ましたが、現在は広幡下集会所から100mほど川沿いを行った登城口から谷筋を進み、左側支尾根に登ってから城域を目指すと言うルートになっています。 支尾根を登って行くと中腹で南端の郭に至ります。この郭、わりと広い台形状の郭で背後に低い土塁と浅い堀切があります。整備で木々が伐採され眺望がきくようになってました。さらに登ると削平地が幾つかあります。ここで南東側の尾根と合流してます。南東側尾根にも段郭があります。 主郭に向かって進むと浅い堀切・土橋を越え中央の郭(主郭)に至ります。山頂部中央郭(主郭)から北へ堀切を挟んで北郭、登ってきた東側尾根とは別に南西側は尾根に南西郭がありますが、見張郭でしょうか?その斜面には巨石があります。主郭との間は堀切で区切られて、その先は細尾根(土橋?)になり、両サイドが大きな竪堀になってます。これを越えたら南西郭です。 主郭は長方形な形状ですが土塁はなかったです。北側下に堀切がありました。その先の北の尾根(主郭北下堀切が登ると大きな郭で、その先に土壇を伴う郭、土壇の北西下には方堀切状で土橋があるようです。)や主郭東下にまだ郭がありますが、日没がせまったため諦めました。主郭の南直下、東西の尾根に囲まれた谷筋を少し降りたところに虎口とともにわずかですが石垣が残ります。さらに下の郭の虎口にも石垣がありまう。主郭下、その下の郭には石垣だけでなく礎石と標識の立つ石が並びます。これって礎石かな? この辺では規模の大きな城跡と思います。資料によれば元々の馬蹄形縄張が北尾根の郭群、主郭下郭、南端の郭の西側(堀切の先)の帯郭などが改修されたものとの事です。僅かに残る石垣は単純に土留めかな? 礎石と標識してあるところは寺でもあったんだろうか? いずれにしても面白い城です。 |
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中条将監秀長が築いたとされます。但し、それ以前は広見氏の城と言う説もあります。天正五年(1577年)に落城、中条将監秀正が討死したとあるようです。その後、織田氏の三河領内の城として機能したようです。(なお、ここの中条氏は挙母金谷城の中条氏とは別のようです。) |
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