西三河/ 広見城



ファイルNo0247


                            主郭直下虎口石垣
@ ひろみじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 豊田市広幡町阿賀滝 
B目標地点:大畑小→広幡下集会所 
C形式:山城  D比高:90m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:郭・竪堀・土塁・石垣
G時代/人物: 戦国期/中条氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分

J撮影・訪問時期:2003年02月・2005年03月

  

道案内  

豊田市内より国道155号線にて北上、愛知環状鉄道と並行に進み、大畑町流下の信号で右折、大畑小の横を過ぎ、広見川沿いに1.5Kmほど進んで広幡下集会所より200m先で左側の民家の裏手の畑地より山に入ります。尾根先端より奥に進むと城域です。

訪城備忘録

麓を廻ってみましたが、登城道になるような道は見当たりませんでした。しかたなく、畑地が山腹の一番高いところまで登り、後は雑木林を尾根まで直登しました。(2005/03再訪しました。登城口はやはりないようですが、前回登った畑地の右手の尾根先端に灯篭が立っています。ここより尾根筋を登りました。冬場はこちらのほうがいいかも。)いずれにしても東の先端の郭に出ます。ここよりさらに登ると浅い堀切・土橋を越え中央の郭に至ります。この城は尾根を二筋に広がる馬蹄形の形をしています。西側の先端郭には深い竪堀があり、中央の郭とは堀切で区切られています。中央尾根上の郭が主郭と思われます。主郭の下、東西の郭に囲まれた谷筋を少し降りたところに虎口とともにわずかですが石垣が残ります。さらに下の郭の虎口にも石垣があり、その下には屋敷地でしょうか?けっこう広い削平地と谷筋(本来の大手道?)を監視するためでしょうか?見張りの郭と思われる高台の郭が西側にありました。

城跡遠望
歴史

中条将監秀長が築いたとされます。但し、それ以前は広見氏の城と言う説もあります。天正五年(1577年)に落城、中条将監秀正が討死したとあるようです。その後、織田氏の三河領内の城として機能したようです。(なお、ここの中条氏は挙母金谷城の中条氏とは別のようです。)

西の郭と主郭の堀切          西の郭東側の竪堀
谷筋もうひとつの石垣       谷筋先端の削平地
  
西の郭の竪堀            西の郭土橋状

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