西三河/ 松平郷長城



ファイルNo0227

   郭

@ まつだいらちょうじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 豊田市松平町神田〜赤原 
B目標地点: 是心寺    
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁
G時代/人物: 戦国期/松平氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2002年01月

  

道案内 

豊田市中心部より国道153号線から国道301号線と進み、松平橋を渡り右折・九久平を左折<すべて国道301号線を進んでいます)松平町に入り長福寺を過ぎると左折(松平東照宮の標識あります)、この左角に商店があり斜め左の細い道を行くと是心寺に至ります。この裏手より山中に入り、松平東照宮の裏手丘陵に延々続く遺構らしきものです。
 
訪城備忘録
延々続く堀と土塁形状

ある本に書いてあった長城を見に行って見ました。延々と延びる空堀と土塁らしきもの、途中何箇所かには堀切のような所、登城道のような所があり、いたるところに郭跡と思われる削平地があります。植林のための土塁形状・溝のような堀形状あるいは畑地としての削平地か?それとも長城か??? どうでしょうか? その本には、武田氏の侵攻に対し、岡崎城を守るための長城で、あえて松平郷を捨てているしてました。

堀切形状
歴史

本には武田氏侵攻に備えるため、大給城の東にあえて松平城及び松平郷を見捨てた形で構築された防御ラインと論じておられます。武田氏は三河に侵攻しても設楽(武節城)〜足助方面まで、〜新城・豊橋方面までの侵攻はありますが、松平郷から岡崎方面のラインの侵攻はないまま終わっています。岡崎及び松平郷は松平氏(徳川氏)の本拠地ですから、防御も堅いと考えられますから当然かもしれませんが、このような長城があったのかもしれません。

  

近くの城・関連の城:松平城・松平氏館・岡崎城