伊勢 坂内城



ファイルNo3629


              主郭北下の堀切              

@ さかないじょう 
  別名:坂内御所  

A住所:松阪市阪内町
B目標地点:坂内神社
C形式:山城  D比高:110m 
E現況:山林

F遺構等:山城:郭・堀切・竪堀・碑
     居館:碑・説明板

G時代/人物:室町期/坂内氏(北畠氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2020年01月

  

道案内 ←城跡  ←居館  ←登り口

伊勢自動車道松坂インタを下り、すぐの信号を右折し県道59号に入り南下し4.2Km先の三郷橋を渡ると国道166号線の信号で、これを右折し国道166号を進みます。(国道166号線は松阪市中心部の大黒田西の信号で国道42号線と分岐しから西に向かう国道です。)2.1Km先で広阪のバス停を越えたあたりの右手丘陵が大河内城で、ここより約700m先で伊勢自動車道のガードをくぐり、さらに約2.5km先の辻原町の信号を右折し県道29号線に入ります。約4km先、右手の高台に子育て支援センター(旧:学校)はあり、そこが居館です。山城には県道沿いにある標識「ガイコツ峠・天守」という標識のところから川の左手のコンクリート道を登ります。少し登るとコンクリート橋があり、フェンスのむずび目を開けて入ります。入ると「天守・ガイコツ峠」の古い標識があります。少し登ってまたフェンスがあり、ゲードを通ります。左手に行くとコンクリート道が途切れるところに小さな石碑があり、ここを右手に登ります。中腹に緩斜面の広い場所があり、この場所で尾根を見て左端に登り道があります。尾根に登ると左手へ登っていくと城跡です。 
訪城備忘録

北畠一族で北畠三家のひとつです。麓の旧小学校(現在の子育て支援センター)が居館です。この辺住所も字では「御所」でした。 遺構はないですが碑と説明板があります。(土日は一応立入禁止です。ふたつの入り口は施錠されてますが、神社側の入り口はひもでくくってあるだけで・・・^^;) 山城は県道沿いの「天守・カイコツ峠」と表記の標識のところから登ります。地元では山城は天守と呼ばれているらしいです。主郭には城址碑があります。当日は雨上がりで靄がでてました。主郭北側下に小さいながら明瞭な堀切があります。主郭の東側斜面下に郭があり、さらに下に幅のある二重堀切があります。主郭南下にも郭があり、その直下(高低差が相当にあります)に堀切があります。この堀切は登ってきた道の右手にあるのですが、埋まってしまっているのか堀切という感じもしません。近くには「ガイコツ峠」があり、場所は明確ではないですが「生頸峠」という峠もあったようであり、激戦地を物語っているようです。
国道から県道に入る辻原町の信号のところに辻原東砦(見張り台)があります。国道の反対側には西砦があります。史料はないようですが、大河内城に関連した街道を監視する砦と考えられるようです。

主郭城址碑
歴史

応永年間(1394〜1428年)の中期(1400年頃)、北畠雅俊が築いたとされ、坂内氏を名乗りました。天正四年(1576年)、具教は三瀬館で信雄の刺客に殺害されますが、同時に信雄は田丸城に七代の坂内具義らを呼び寄せて殺害しました。
なお、笠木館も坂内氏の城です。

東の斜面の二重堀切
県道沿いの案内板
  
主郭北下の堀切
主郭北下の堀切を横から
主郭北下の堀切から落ちる堅堀
北側堀切から主郭を見る
東側郭    東側斜面
東側二重堀切りTから斜面を見る
東側斜面二重堀切Uの堀切を横から
東側斜面二重堀切Uの堀切と斜面
東側斜面二重堀切Uの堀切
南郭     南郭下堀切
城址碑と説明板   居館
坂内神社
道案内
小川の左手を登る    城跡遠景
最初のゲートにある案内板    斜面へ登る位置
中腹の緩斜面の登りルート     尾根   
城域への急坂
辻原東砦(辻原東見張り台) 3630 
伐採された城域     西の堀切
遠景

近くの城・関連の城:笠木館