伊勢  東禅寺城



ファイルNo3566


                北西端堀切状            

@ とうぜんじじょう 
  別名 城 

A住所:いなべ市藤原町東禅寺
B目標地点:東藤原駅・藤原配水場・お菊稲荷
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・説明板
G時代/人物:室町期/片山氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2019年06月

  

道案内 

国道365号線と国道306号線の分岐点、別名の信号から関ケ原方面へ約100m、多志田川を越えてすぐ川沿いに左折します。約1.4km先、県道615号線に右折します。約1.1km先(東藤原駅を越えて約100m)を斜め左折します。すぐに三岐線のガードをくぐり約100m先を左折します。約200m先、角に御厨神社のところで右折します。約100mくらいの右手に東禅寺城、東禅寺廃寺などの説明板があります。林道を約300m進むと左手にお菊稲荷の石碑がありここに入ります。この稲荷がある尾根の北西側が城跡です。

訪城備忘録

城域のある尾根は林道側との間に深い堀状の地形が尾根に並行してあり、尾根の南側は多志田川との高低差が100m以上ある絶壁になってます。稲荷から北西に進むと副郭となり、一部わりと高い土塁が残ります。空堀風の窪みを越えると主郭です。主郭は北西端からほぼコの字にどっしりとした土塁が残ります。その先は堀切状になってます。なんか期待しないで行ったらけっこうしっかりと遺構が残っていて、かつ、説明板もあって、得した気分でした。(笑)

説明板
歴史

室町期、斉藤助六、または、片山平三(平蔵)<片山氏は阿下喜城にも名かあります。>が城主であったとされますが、詳細は不明との事です。

主郭北西端土塁
土塁
  
お菊稲荷へ
林道と尾根の間の谷(堀のよう)
副郭の土塁
土塁
主郭北西端の土塁
主郭北西端の土塁
土塁

古田城 1010

@ ふるたじょう   別名 治部屋敷 
A住所:いなべ市藤原町古田  B目標地点:東藤原駅・藤原配水場・お菊稲荷  
C形式:山城  D比高:20m E現況:山林
F遺構等:郭・土塁・堀切・説明板  G時代/人物:室町期/近藤氏
H満足度: 途中断念

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:フェンスから5分?
J撮影・訪問時期:2003年06月・2024年11月

国道365号線、岐阜県と三重県の県境から三重県側に約600mの地点で東へ細い道を入ります。角には小さな工場があり、反対側の畑の国道沿いフェンスには古田城の説明板があります。2003年当時はしっかり読めましたが、2024年にはほとんど読め無い状態になってました。城跡はこの説明板のはるか東後方というになります。細い道を入ると約200m(ゆるい下り道になってます)先、小さな橋がありそれを渡り、さらに細い道を左手方向に約200m行くと獣除けフェンスのゲートがあり、ここを入り、すぐを山に入ると比高10mほどで平坦地に出ます。資料では城跡は尾根先端にあり、二重の土塁(現在は猪垣として利用されている)と堀跡が残ると書かれてますが、判りませんでした。 右手尾根の高い方に登ってみましたが城跡遺構らしいものはないです。この尾根の東下は南北に谷状になっていて谷川になっている感じです。これが尾根先端で西側に折れて来てるんですが、この辺に城郭遺構的なものはなかった感じです。

建武二年(1335年)、近藤義孝が築城したとされます。戦国期に入り、永禄四年(1561年)、近藤治部義晃が城主の時に治田城の治田氏に攻められ落城したとされます。<現地案内板より>

橋のところから城跡遠望
             ゲート    国道沿いの説明板(2024年)
国道沿いの説明板(2003年当時)と後方は城跡
尾根上

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