伊勢 | 治田城 |
ファイルNo0024 |
@ はったじょう (はるたじょう) |
道案内 | |||
東海環状自動車道の大安インタを下り、国道365号線に左折します。約700m先、三笠橋南詰の信号を左折し国道421号線に入ります。約4.2km先の石榑北(いしぐれきた)の信号を右折し国道306号線に入ります。約3.2km先の麓村の信号を越え、約300m先の「麓」のバス停の先を左折して登ります。500mほどで貯水池でそこに城跡標識があります。 貯水堤防を渡り、そこから直登20mで、郭内に入ります。 |
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訪城備忘録 | |||
2003年から2024年再訪しました。見る目が少し超えたかもとは思ってましたが、私にはわかりにくい城跡です。以前は堤防手前に城跡標識と説明板があったんですが、今は説明板が無くなり、標識もガードレールにくくってありました。堤防を渡り、小さな祠の先にV字の斜面があります。左手が主郭方面ですが、右手斜面から登ってみました。 右手斜面に竪堀状の窪み、尾根上には削り残しの郭、L字に残る土塁状があったり、堀切状もありました、どこまで遺構なのか?です。その上が主郭になるんですが、主郭西下は尾根が繋がり、自然地形なのかはありあmすが、堀切状になってます。主郭下東側に主郭へ大きく食い込んだ窪地があり、虎口のようです。城道としては主郭下から右折して麓側に繋がっているようで、枡方状の虎口と言えるのかもしれません。主郭には大きな櫓台の土壇があり低い土塁が廻っている感じです。主郭から北側三段目の段郭の谷状に大きな窪地があり、これが井戸である感じです。ここは祠の所からやや左手に登ったところになります。全体的に切岸もしっかりしているんですが、縄張としてつかみにくい城跡でした。 |
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築城時期は定かではないようです。治田五兵衛が築き、子の治田山城守が継いだようです。永禄十年(1567年)に織田信長の家臣の滝川一益に攻められるも落城しなかったようです。しかし、天正年間に織田信長によって攻められ滅亡したものです。 治田氏は近江の美濃部氏の一族のようです。美濃部九郎右衛門尉が当地に居住したことに始まるようです。山城守は十三代であるようです。 |
阿下喜城(上木城) 4090 |
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