伊賀/ 増地氏城



ファイルNo1769

          下の城の堀   

@ ますじしじょう 
  別名 

A住所:伊賀市島ケ原中村
    旧:阿山郡島ケ原村中村

B目標地点:
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:戦国期/増地氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分

J撮影・訪問時期:2007年09月

  

道案内 

伊賀上野中心部から国道163号線(新道)で向かうと、木津川を渡った先の「町」の信号で右折します。800m先の信号で左折するとJR島ケ原駅です。駅舎から右手に線路沿いを進むと踏切が有りここを左折して渡ります。500mほど進むと両サイドが丘陵の峠状の間を通ります。途中、右に「菊岡氏城」の標識があります。この反対側の(左の)丘陵上が増地氏城です。
 
訪城備忘録

丘陵頂部に上の城、少し下がった中腹に下の城があります。まだ、夏草が生い茂り、麓から取り付くところがありません。比較的北側の草が少ないため、北側の民家(民家ちゅうても石垣の上に3棟も建てられているお宅で館のようなお家です^^;)の前から登りました。斜め左に登って行くと、上の城の北側に至りました。ちょうど北西側の土塁が厚くなっている櫓台のところです。この北側・西側に堀が巡っていました。西側の堀を伝って南側に回りこむと西側の虎口から郭内に入れます。郭内は木々が鬱蒼と茂っていますが、分厚い土塁は明瞭に残っていました。東側の虎口を出ると藪状態ですが堀が確認できます。ここから少し下るとL字に明瞭な空堀、その内側に土塁が巡っているのを確認できます。ここが下の城です。空堀・土塁は上の城よりはっきりしています。多くの伊賀の城が単郭の城が多いだけに、この城は技巧的な要素を持った城館でした。

城跡遠景
歴史

増地氏は源頼政の家臣渡辺競の子が平家から逃れこの地に定住した以後、その一族として勢力をつけたようです。天正九年(1581年)の織田信長軍侵攻では、信長軍の堀秀政に増地小源太は降伏した。

上の城の郭内と土塁               土塁を虎口から
下の城の堀と土塁を上から見る          上の城の北側の堀 
  

近くの城・関連の城:菊岡氏城  島ケ原駅前の史跡案内板