伊賀/ 丸山城



ファイルNo1128

伊賀天正の乱のきっかけの城

                            城址碑

@ まるやまじょう 
  別名 

A住所:伊賀市下神戸坂田
    旧:上野市下神戸

B目標地点:伊賀鉄道丸山駅・伊賀中消防署丸山分署
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堀・土塁・石碑
G時代/人物:戦国期/織田氏・滝川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から10分

J撮影・訪問時期:2004年06月・2017年11月

  

道案内  

国道25号線の上野東インタを下り、国道422号線を旧:青山町方面に進みます。8km先、伊賀鉄道の丸山駅横の信号を過ぎ、500m先左手の消防署を越えて70m先を左折します。踏切を越えて、丸山集落に入ります。踏切から400m先が丸山集会所で、その斜め前の細い道に左折し、すぐに道なりに右折します。丸山集会所に訪城用の駐車場が4台分ほどあります。手書きの案内標識があります。細道を進むと次の標識で山に入って行きます。
 
訪城備忘録・歴史

過去、何度か行きましたが登城口がわかりにくい城でしたが、2017年、映画「忍びの国」の影響か?やや整備されてます。手書きの案内板も麓にはありました。城は、北と東は比自岐川が蛇行して流れ、天然の堀になっています。西側(国道の西側)には南北に木津川があり、要害という感じの独立峰に城はあります。過去は、南側の集落から山に入ります。登城道はわりと整備されていて、なんなく主郭まで行き、肝心の遺構は藪状態ではっきりせず、城址碑を見て帰ってきたという感じで、物足りない気分でした。しかし、2017年再訪したら・・・。
登城道から本丸までは道はしっかりしてますが両サイドは藪で遺構があってもわかりにくいのは以前と同じでしたが、本丸から供養塔の手前から左に入って西尾根を進むと郭跡や不明瞭ですが堀切土橋、片堀切土橋と思われる遺構が見られます。今回驚いたのは北郭群です。本丸下の二の丸の藪をかき分け(訪城時はやや藪が短くなってましたが)、本丸を左手にみながら進み、藪を抜けると北郭群です。北郭群の東下に二重堀、虎口形状、さらに下に郭を見ることができます。この下の郭には富士大権現の石碑が倒れていましたが、祠とかあったようで、城の遺構ではないかも。しかしながら、北郭群はこれはなかなかいい遺構でした。


歴史

天正六年(1578年)に比奈知の下山甲斐守が伊賀の手引きを申し出たので、北畠(織田)信雄は滝川雄利に命じてこの城を築かせました。伊賀の国人衆はこの城を攻撃し滝川氏を敗走させますが、翌年の第一次伊賀天正の乱、天正九年(1581年)の第二次天正伊賀の乱と繋がります。乱が鎮圧された後、暫くは滝川氏の持ち城であったようです。

北郭の虎口形状と切岸
北郭空堀(二重空堀の手前の方・左の土塁の先にもうひとつ空堀があります)
供養塔   2004年    城中
  
麓集落内
山中の祠のある兵站地(低い土塁と城道のような塹壕斜面)
    二の丸手前          二の丸から城址碑のある本丸を見る
西郭群への枡形状
         西郭群尾根道・郭?     尾根道の堀切・土橋状(幅がないが)
西尾根
西郭群/郭と低い土塁
西郭群/片堀切と土橋
西郭群先端部
北郭の空堀(二重堀の上の堀)
北郭の空堀(二重堀の下の堀)
       切岸      北郭群の仕切り堀切?
北郭の土塁
北郭の空堀(二重堀の上の堀)
南側から城跡遠望

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