伊勢/ | 高岡城 |
ファイルNo1079 |
@ たかおかじょう |
|
【道案内】 東名阪自動車道鈴鹿インタを下り、左折し県道27号線を進みます。3Km先の三畑町で道は二股になり、県道27号線は左手で、右手の道「鈴鹿サーキット方面」に進みます。途中から県道637号線になります。二股から3Km先の汲川原町の高架で国道1号線を越えます。その先で汲川原橋で鈴鹿川を越えます。渡った先の信号で左折し県道54号線に入ります。直線の県道を5.4Km進むと裁判所前の信号でここを左折します。鈴鹿市役所前を通り、県道103号線を3Kmほど進むと再び鈴鹿川で、鈴鹿橋を渡ります。左手の丘が城址です。川を渡って最初の信号で左折し高岡台という住宅団地に入ります。600mほど進むと左手に回り込むようにして城跡公園に登れる道があります。 <国道23号線からだと四日市市から鈴鹿市に入り、600mの一ノ宮町の信号を右折し県道506号線に入ります。600m先の一ノ宮西の信号で右折し県道103号線に入り、鈴鹿橋を渡ります。> 【訪城備忘録】 丘の上は小公園になっており鈴鹿市内が一望できます。しかしながら、公園の周囲を歩いてみましたが、これといって明瞭な遺構は確認できませんでした。 【歴史】 築城年代は定かではありません。神戸氏の重臣の山路弾正は永禄十年(1567年)の織田信長の侵攻にはこの城で抵抗しました。神戸友盛は信長の三男の信孝の養子を条件に和睦しましたが、元亀二年(1571年)に信長が友盛に隠居を命じたため、山路弾正は平野城の伊東氏とともに主家再興を企てましたが失敗し自刀しました。その後、城は信孝の異父弟の小島兵部が入りましたが、天正十年(1582年)に小島氏は神戸城主となり、高岡城は廃城になったと考えられます。 |
|
近くの城・関連の城: