摂津 水牢城



ファイルNo4099


               土塁             

① すいろうじょう 
  別名 水牢古城 

②住所:豊能郡豊能町野間口
③目標地点:府道4号線沿いの光明山登り口
④形式:山城  ⑤比高:110m 
⑥現況:山林

⑦遺構等:郭・土塁・標識
⑧時代/人物:平安末期・戦国期/能勢氏・余野氏
⑨満足度: 凸凸
⑩最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  府道4号線から10分(比高50m)

⑪撮影・訪問時期:2024年12月

  

道案内 

新名神高速道の箕面とどろみインタで下り、インタの入口を信号を左折し国道423号線を亀岡方面に進みます。約6km先、金石橋の信号で左折し府道4号線に入ります。約5.5km先の右手に光明山の登り口の標識があり、これを登り、すぐの尾根道を左に行くと鉄塔に至ります。この鉄塔のやや左下の尾根を進んでいくと城跡下に着き、斜面を登ると城跡です。 (あるいは、国道423号線の金石橋の信号をさらに約5km先の妙見口の信号で左折し府道605号線に入ります。約1.5km先、野間峠のバス停付近で左折し府道4号線に入ります。約1kmのつづらの坂道を登ると直進が能勢妙見山への道(府道605号線)、左折が府道4号線の分かれ道でここを左折します。約800m先左手が光明山への登り口です。)
 
訪城備忘録

府道から光明山への登り口を5mほど登ると光明山は右手ですが、左手に進みます。しばらくすると高圧鉄塔です。ここからの眺望はいいです。鉄塔のやや左側へ下りていくと尾根が続いています。比高で40mほど下りながら尾根を進むと途中に古道でしょうか?大きな開口部が右手にあります。過ぎるとすぐに登り斜面で比高で20mほど登ると城跡です。 東西が20m弱、南北が50m弱の単郭の城で、今は西側に土塁が残っていますが、堀切もない単純な城の構造です。北西部分(土塁が切れたところ)に虎口があったのかもしれません。郭の中心部に「水宇古城山」という標識がありましたが、「宇」ではなく「牢」ではないかと・・・。

府道の登り口
歴史

文治年間(1185~89年)に能勢氏一族(余野氏)が余野本城の支城として築城したとされます。 明応二年(1493年)、余野頼幸は余野本城を改修?したようですが、元亀三年(1572年)、新たに余野城(余野幣ノ木城)を築いたとされます。水牢城はが余野本城とともに廃されたようです。

鉄塔からの眺望
鉄塔からの眺望
  
土塁
標識
土塁(南側端)
城跡全景
鉄塔から     尾根の古道?
  余野城 f2989

① よのじょう  別名 余野幣ノ木城<しでのぎ> ②住所:豊能郡豊能町余野 ③目標地点:仙游寺・旧城山高(現:教育施設)  ④形式:丘城  ⑤比高:30m ⑥現況:学校 ⑦遺構等:説明板
⑧時代/人物:戦国期/余野氏  ⑨満足度:
⑩最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間: 5分  ⑪撮影・訪問時期:2015年05月

京都縦貫道の亀岡インタを下り、国道423号線を能瀬方面に進みます。13km先が妙見口の信号です。ここを直進、1.5km先、余野川の反対側の左手段丘の上に城山高校(2008年閉校)が見えます。この旧城山高校の場所は余野城跡です。あるいは、新名神高速道の箕面とどろみインタで下り、インタの入口を信号を左折し国道423号線を亀岡方面に進みます。約6km先、金石橋の信号で、金石橋の信号をさらに約2.5km先の切畑口の信号で右折しすぐ左上が旧城山高、その奥が仙游寺です。 城跡全域が学校施設となり、遺構は無いです。旧高校の敷地の南端に城址碑と説明板があるようですが、今もあるのか? 仙游寺の入口に(類似)説明板があります。

明応三年(1493年)に余野頼幸が築き余野本城より移ったとされますが、元亀三年(1572年)に築城されたともいわれます。 余野氏は能勢氏の一族で、能勢氏、余野氏、野間氏は能勢の三惣領と呼ばれます。 この城は高山右近の妻(洗礼名ユスター)の出身地とされ、余野高綱は高山右近とは親交がありましたが、後年には対立し、天正十二年(1584年)、高綱と右近は合戦となり、高綱は敗れて自刀し、城も廃城になったとされます。

類似説明板     城跡遠景

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