大和 貝吹山城



ファイルNo2200

             南側から櫓台    

@ かいぶきやまじょう 
  別名 

A住所:高市郡高取町与楽
B目標地点:乾城古墳
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・櫓台(土塁)・碑 
G時代/人物:南北朝期/越智氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道から15分

J撮影・訪問時期:2009年07月

  

道案内 

西名阪自動車道香芝インタで下り、国道168号線を南に進みます。2.5Km先の下田の信号で左折し国道165号線に入ります。5Km先大和高田市内で国道は大きく右にカーブします。さらに2Km先、今里の信号で左折します。4.5Km先の橿原市の小房の信号で右折し国道169号線に入ります。
(あるいは、西名阪自動車道大和郡山下ツ道JCTから京奈和自動車道に入り、約10Km先の橿原北インタで下ります。約2.8Km先の曲川町東の信号で右折し国道166号線に入ります。約2.8Km先が橿原市の小房の信号で右折し国道169号線に入ります。)

国道169号線を右手に橿原神宮を見ながら約4Km進んだ飛鳥駅前の信号を越え、さらに約300m先の信号を右折します。約2。2km先の右手が病院で、その手前が古墳です。古墳のところで山に向かう道があります。

訪城備忘録

東西の道から入るとすぐに道はT字で左が乾城古墳で、右手が登城口です。車は道の反対側の道の路肩の広いところに止めるしかありません。

登城口から登ると円弧を描いた土橋状の箇所を通り山道を進みます。右手は多数の段郭が広がっていますが、竹やぶのため、入っていくのには覚悟が要ります。山道を登るきると主郭櫓台です。櫓台には小さな城址碑が建っていました。古墳を利用した城です。反対側(北側)には主郭の広い郭があります。さらに、北東、北西の尾根にも郭が連なってあるようですが、夏場では踏み入ることができませんでした。結局、主郭部分を見るのみになってしまい、南の郭群の坂虎口を探して見ましたがよくわかりませんでした。堀・堀切など、分かりやすい遺構も無く、規模は大きいとは言え、物足りない感じのする城跡でした。

櫓台と城址碑
歴史

築城時期は定かではないようですが、南北朝期に越智氏によって築かれたようです。本格的には戦国期に入ってから越智城の詰め城とされたようですが、天文十五年(1546年)に筒井順昭によって落城しました。その後、越智氏は奪還を試みますが失敗したとされます。永禄九年(1566年)、松永久永方の城となっていた貝吹山城は、筒井氏勢が攻め、筒井順慶に味方した越智家増は貝吹山城に復帰しました。しかし、永禄十二年(1569年)、織田信長方となった松永久秀に攻められ開城し、その後、天正八年(1580年)、信長の大和一国破城令によって廃城になったものとされます。

主郭側から      城跡遠望
坂虎口?         土橋状
  

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