大和 越智城



ファイルNo2199

          櫓台?(古墳)    

@ おちじょう 
  別名 

A住所:高市郡高取町越智〜寺崎
B目標地点:天津石門別神社・越智公民館
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:田畑・宅地・山林

F遺構等:郭・堀切・土塁
G時代/人物:南北朝期/越智氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  農道から10分

J撮影・訪問時期:2009年07月

  

道案内 

西名阪自動車道香芝インタで下り、国道168号線を南に進みます。2.5Km先の下田の信号で左折し国道165号線に入ります。5Km先大和高田市内で国道は大きく右にカーブします。さらに2Km先、今里の信号で左折します。4.5Km先の橿原市の小房の信号で右折し国道169号線に入ります。
(あるいは、西名阪自動車道大和郡山下ツ道JCTから京奈和自動車道に入り、約10Km先の橿原北インタで下ります。約2.8Km先の曲川町東の信号で右折し国道166号線に入ります。約2.8Km先が橿原市の小房の信号で右折し国道169号線に入ります。)

国道169号線を右手に橿原神宮を見ながら約4Km進んだ飛鳥駅前の信号を越え、さらに約300m先の信号を右折します。約3km先で右折しすぐを左折し越智集落側へ行きます。最後の左折から約200m先、集落から約200m手前に北へ向かった農道がありここに入ります。約200m先の畑地が居館跡、背後の丘陵にも遺構がある感じです。

訪城備忘録

農道を進んだ丘陵に囲まれたところが居館跡で、その背後、東側の丘陵の鉄塔に向かって進むと鉄塔横に堀切跡、丘陵内は雑木林、竹藪ですが、古墳を利用した城で、古墳の堀等が城にも使われている感じです。

城跡遠景
歴史

築城時期は定かではないようです。 南北朝期に南朝方として行動した越智氏の居館とされます。詰め城には貝吹山城を築いてます。筒井氏の抗争の中、永享七年(1435年)に多武峰の戦いで越智氏は破れ、永享十一年(1439年)には越智維通が討死し、越智氏はいったん没落しました。維通の子の家栄が勢力を回復しました。しかし、永禄十二年(1569年)、織田信長方となった松永久秀に攻められ、信長に下りました。天正八年(1580年)、信長の大和一国破城令によって廃城され、天正十一年(1583年)、越智家秀(家栄の五代後の当主)が家臣に殺害され、越智氏は途絶えたようです。

居館         堀切
郭           空堀
  

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