大和 下狭川城



ファイルNo2177

           主郭下の堀    

@ しもさがわじょう 
  別名 

A住所:奈良市下狭川町
B目標地点:中墓寺
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁・碑
G時代/人物:室町期/狭川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  中墓寺から20分

J撮影・訪問時期:2009年06月・2022年12月

  

道案内     ←中墓寺

国道(国道25号線)の針インタを下り、国道369号線を北上します。18km先、水間の信号で左折し県道80号線に入ります。3.5km先、日笠町で右折し県道47号線に入ります。12km先で国道369号線を横切ります。4km先の須川の信号で右折し(信号としては直進という感じ)県道33号線に入ります。4.2km先、右手に赤い橋がありますので、これを右折して渡ります。<中墓寺の標識があります。> 道は大きく右から円弧を描きながら左カーブで集落内に入りますが、その手前、右高台に中墓寺があります。この奥に中墓寺の駐車場があり、それをさらに10分ほど奥に進むと城跡です。

訪城備忘録

中墓寺から来ると左手に高い切岸と空堀が巡るところに至ります。この空堀は主郭周囲を巡る深い空堀です。北側空堀は倒木や竹で見にくいですが、東側はわりと見やすいです。主郭は低い土塁が北側にありますが、こちらは藪きついです。主郭南側一段下がった副郭に「狭川家遺跡」の石碑が建っていました。さらに、西側にも郭があった感じですが、畑地かで、改変されているようです。

主要部から南側へ道を下りて行くと、途中、堀切形状の箇所もあり、向こう側に出てみましたが明瞭な平坦地はなかったです。しかし、なんらかの施設があったかもしれません。さらに下りると、神社の長い参道(200m以上ある)のような箇所に出ます。一番奥には狭川家の墓所がありますが、ここは馬場と伝わります。

2022年に再訪しました。 前回訪城時のことがほとんど思い出せなかったですわ^^;

石碑
歴史

東山内の国人の狭川氏の本城と伝わります。近くの上狭川城、藤尾城とあわせた城砦群であったようです。狭川氏は、時にあわせて筒井氏あるいは古市氏に従いながら、戦国末期まで勢力を持っていたと考えられます。

主郭        馬場
 西の郭
主郭下空堀                  尾根の堀切?
  
主郭下空堀
主郭下空堀
主郭下空堀
主郭下空堀
主郭虎口状
主郭土塁
主郭土塁
主郭への坂土橋
東側尾根の堀切状
馬場
馬場跡の碑      馬場
 狭川・下垣内城 3459 
@ しもかいとじょう 
  別名 

A住所:奈良市下狭川町
B目標地点:八幡宮
C形式:丘城  D比高:m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁
G時代/人物:室町期/ーー氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分


J撮影・訪問時期:2018年10月
 
国道(国道25号線)の針インタを下り、国道369号線を北上します。18km先、水間の信号で左折し県道80号線に入ります。3.5km先、日笠町で右折し県道47号線に入ります。12km先で国道369号線を横切ります。4km先の須川の信号で右折し(信号としては直進という感じ)県道33号線に入ります。4.2km先、下狭川のバス停のところで左折します。約100m先のT字路を右折し、約200m先の八幡宮を過ぎたあたりで右折しさらに北上します。すぐのY字を斜め左に行き、約300m先の右手丘陵上が城跡です。

この城跡は2018年10月に行ってます。しかし、この備忘録は2022年12月に記述してますが、記憶が飛んでで覚えてません。^^; 城跡なのか畑の跡かわからんという印象でもあったんですかね。また、竹藪がきついよう。

平群町にも「下垣内城」がありますので、注意ください。

土塁と空堀
空堀
堅堀?

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