大和 畑城



ファイルNo2091


                             石垣    

@ はたじょう 
  別名 

A住所:山辺郡山添村春日
B目標地点:
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・石垣・説明板
G時代/人物:戦国期/奥田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  東の登城口から10分

J撮影・訪問時期:2009年05月

  

道案内 ←主郭(東の郭)登城口

名阪道山添インタを下り、県道80号線を山添役場方面に進みます。400m先役場前で右折し国道25号線に入ります。200m先左折で山辺高校山添分校で、この入口に説明板があります。城跡にはあと400m進んで左折する道があり、ここを左折します。(角に案内板があります)600m先左手に入る道があります。(ここにも案内板があります。)ここを左折し100mほどで左手に登城口です。なお、この道は神社に出られ、山添分校の前の道と合流します。
 
訪城備忘録

登城道から山道を10分を登らない時間で東の主郭に着きます。北側虎口横に明瞭な石垣が残ります。一段下がった郭の南側下には堀切も認められました。尾根筋は荒れていて、西の郭には行きにくい感じでした。西の郭には山添分校の裏手の道を登りました。やはり5分ほどで堀切の所に至ります。大きな堀切が残ります。

城跡遠望
歴史

奥田三河守忠高が天文年間(1532〜55年)に築城したとされ、まずは西の郭を築城し、その後に東の郭を拡張したとされます。奥田氏は斯波氏の一族で、尾張国奥田城を拠点としため、奥田氏を称しましたが、忠高は松永久秀に仕え、久秀没後は織田信長、豊臣秀吉に属し、江戸期になって徳川家康に旗本として取り立てられ、この一帯を領し、大西(役場周辺)に陣屋を構えたようです。

東の郭の虎口     西の郭の堀切
東の段郭(石垣痕跡?)   東の郭の堀切 
  
西の郭

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