大和 | 畑城 |
ファイルNo2091 |
@ はたじょう |
道案内 ←主郭(東の郭)登城口 | |||
名阪道山添インタを下り、県道80号線を山添役場方面に進みます。400m先役場前で右折し国道25号線に入ります。200m先左折で山辺高校山添分校で、この入口に説明板があります。城跡にはあと400m進んで左折する道があり、ここを左折します。(角に案内板があります)600m先左手に入る道があります。(ここにも案内板があります。)ここを左折し100mほどで左手に登城口です。なお、この道は神社に出られ、山添分校の前の道と合流します。 |
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訪城備忘録 | |||
登城道から山道を10分を登らない時間で東の主郭に着きます。北側虎口横に明瞭な石垣が残ります。一段下がった郭の南側下には堀切も認められました。尾根筋は荒れていて、西の郭には行きにくい感じでした。西の郭には山添分校の裏手の道を登りました。やはり5分ほどで堀切の所に至ります。大きな堀切が残ります。 |
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奥田三河守忠高が天文年間(1532〜55年)に築城したとされ、まずは西の郭を築城し、その後に東の郭を拡張したとされます。奥田氏は斯波氏の一族で、尾張国奥田城を拠点としため、奥田氏を称しましたが、忠高は松永久秀に仕え、久秀没後は織田信長、豊臣秀吉に属し、江戸期になって徳川家康に旗本として取り立てられ、この一帯を領し、大西(役場周辺)に陣屋を構えたようです。 |
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