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| 新庄城 f3046 |
| @しんじょうじょう 別名 新庄陣屋 A住所:葛城市新庄 旧:北葛城郡新庄町 B目標地点:屋敷山公園(古墳) C形式:丘城 D比高:10m E現況:公園 F遺構等: G時代/人物:江戸期/桑山氏(戦国期/布施氏) H満足度: 凸 I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:20分 J撮影・訪問時期:2016年01月・2025年02月 西名阪道の香芝インタから香芝インタ上中の信号を右折し国道168号線に入ります。約2.2km先の北今市3丁目西の信号で右折し県道105号線(中央幹線)に入ります。約3.5km先の穴虫西の信号で左折し国道165号線に入ります。約5.5km先の當麻寺の信号で直進します。ここより県道30号線になります。約2.5km先で南阪奈道の葛城インタ下を通ります。さらに約1.4km先右手が屋敷山公園です。 現在は公園で元々は屋敷山古墳です。古墳を利用した城跡という事になります。古墳の水堀がそのまま城の堀になってます。古墳上には城の遺構らしきものは見当たりませんが、北側麓に城址碑と説明板があります。西側に大きな窪みが続きますが、空堀のようですが、現地の案内板を見ると往時は水堀だったのかも。現在残る池も往時は古墳の水堀を活用した水堀のようです。 戦国期、布施城の布施氏の平時居館とも言われています。天正十三年(1585年)、筒井氏が伊賀に転封となり、布施氏もそれに従いました。関ヶ原の戦い後に桑山一晴が一万六千石で紀州より入封し、ここに陣屋を構えました。一晴が没した後は弟の一直が継ぎ、次いで一玄、一尹と続きますが、天和二年(1682年)に一尹は勅使の不敬があった事で改易されました。天和三年(1683年)、永井直円が一万石で丹後宮津より入封したとされます。 文久三年(1863年)、八代の直壮の時、櫛羅(現:御所市)に陣屋を移転しました。 |
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| 櫛羅陣屋 f4117 |
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