奈良の城002 ▽
十市城 2279 |
大和高田城 2280 |
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A大和高田市旭北町 B片塩小学校 常光寺 国道165号線、今里の信号で北側に進み、100m先の旭北町の信号を直進、400m先のJR桜井線の踏み切り手前を左折し、道なりに片塩小学校の正門まで行き、正門横の公園に石碑があります。 |
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C平城 F遺構等:碑・説明板 G室町期/当麻氏(高田氏) H満足度:凸 永享四年(1432年)に高田当麻為貞が築城しました。當麻為長の代に天正八年(1580年)み織田信長の命で筒井順慶によって所領を没収されました。
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J訪城:2009/09 | ||
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万歳平城 3220 |
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@まんざいへいじょう 別名 万歳城 A大和高田市市場 B金勝寺・名倉北池・春日若宮神社・高田西中 西名阪道の香芝インタから香芝インタ上中の信号を右折し国道168号線に入ります。約2.2km先の北今市3丁目西の信号で右折し県道105号線(中央幹線)に入ります。約3.5km先の穴虫西の信号で左折し国道165号線に入ります。約5.5km先の當麻寺の信号で左折します。約2.5km先、高田西中手前約100mのところで左折します。約250m先で道が右クランク上になり、約100m先左が金勝寺です。 遺構は残っていません。と言いながら、池の竹藪内に土壇があるようですが、竹が密集していて入れません。高田西中側に説明板があります。 |
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C平城 D比高:ーm E現況:神社・住宅地・田畑 Fほぼ消滅(土壇?)・説明板 G−−期/万歳氏 H満足度:凸 築城時期は不明ですが万歳氏の居館のようです。万歳氏は古代氏族の末裔とされます。室町初期、この地(平田荘)の八荘官(万歳氏以外に岡氏、布施氏まど)のひとりとされ、万歳郷の領主で、平時の居館がここだったようです。詰めの城として万歳山城がありました。天正八年(1580年)、織田信長の大和一国一城令で廃城になったようです。 |
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J訪城:2017/03 | ||||
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