大和 万歳山城



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                            北側尾根途中の堀切

@ まんざいやまじょう 
  別名  

A住所:葛城市當麻
B目標地点:當麻山口神社
C形式:山城  D比高:280m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・畝状竪堀
G時代/人物:戦国期?/万歳氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  30分

J撮影・訪問時期:2017年03月

  

道案内 ←登り口@ ←登り口A ←城跡

登り口いくつかあります。當麻山口神社側から登るか、二上山の岩屋峠から尾根伝いに来るかです。 前者は、香芝と大和高田を結ぶ国道165号線(大和高田バイパス)の道の駅「ふたかみパーク當麻」を目指します。道の駅の南1kmの熊谷川橋南詰の信号を西に曲がります。800m先の右手當麻病院の横を越え、200mほど進むと當麻山口神社の鳥居があります。ここを越えると道は右手に下りる道とまっすぐ林道に入る道があります。林道に入り400mほど進むと道が大きく左にカーブし右手に溜池があります。このカーブの所が登り口です。 後者は、先ほどの右に下りる道を行くと別の溜池を見ながら再び登ります。<ここからは道が狭いため車では行けないです> 大樹寺から600m先が祐泉寺です。ここから二上山に向かって登ります。二上山雌岳の東側、岩屋峠から竹内峠に向かって尾根道を進みます。500mほど山道を歩いたら左に曲がる分岐点があります。ここを左に入って進むと万歳山城の原岳に至ります。岩屋峠は車で「二上山。万葉の森」の駐車場まで行って、そこから二上山を目指して登ります。 雌岳下で逆Vで雌岳麓を巡る道があり、そこを進むと岩屋峠です。<後者は下段に写真で示します。>

訪城備忘録

山口神社から登りました。支尾根の登りをどんどん登って行くと土橋状の箇所に至ります。その先の尾根には段郭のように見えます。(実際に段郭でしょ) 両サイド支尾根の谷筋を登って行きます。右手尾根には段郭が続きます。 途中、堀切、二重竪堀の箇所があり、この背後の切岸は非常に高いです。 ここらへんの作りは近くの布施城に似てますね。尾根まで登りきると左右に道が湧かれますがとりあえず左手に進みます。尾根上は削り残しの大土塁のようです。 しかし、笹藪がすごい。 尾根を左手に進むとま麻呂子展望台と標識のある平坦地に出ます。ここからは奈良盆地の眺望が開けます。 ここは尾根の東端の郭のようです。 ここから急斜面を降りると藪で分かりにくいですが二重の堀切があります。その先に平坦地がありまた下っています。私はここで引き返してしましましたが、この平坦地の下に大堀切が残るようです。戻って大土塁上を歩いて西側へ(二上山側)に進みます。この左手下には畝状竪堀群があるのですが、ここも急峻の上、藪藪であきらめました。(他の方のページをみるとどこからか廻り込んで行ってらっしゃるよう^^;) 土塁を進むと原岳の表示のある平坦地に至ります。ここいらへんが主郭でしょうか? ここを越えると下りになり尾根の鞍部のような箇所に降ります。右手を見上げると倒木が多いんですが平坦地があるように見えます。左側の斜面を少し降りて見ると竪堀が確認できました。この斜面の先に畝状竪堀があるんですが、倒木が酷くてあきらめました。鞍部から再び登りになりますが。右手先端に堀切のような箇所がありました。ここから進むと二上山へ行きます。

歴史

築城時期、築城者は定かではないようです。 大和高田市にある万歳平城に依った万歳氏の詰め城とされるようです。ただ、布施城の家臣の城という説もあるようです。廃城は、織田信長の天正八年(1580年)の廃城令の頃ではないかと思われます。

大土塁            東の堀切
麻呂子展望台からの眺望
  
    土橋状         土橋状の先の尾根段郭
尾根段郭
谷筋の道              尾根途中の堀切
谷筋の道
尾根段郭
段郭の切岸
麻呂子展望台
大土塁上              原岳平坦地
原岳平坦地
原岳平坦地から二上山
斜面の竪堀
平坦地?            堀切?
道案内
岩尾峠
尾根道
曲り地点
分岐の道入口

近くの城・関連の城:二上山城 万歳平城 布施城