道案内  |
紀勢自動車道のすさみインタを下り、県道38号線に入ります。道なりに約4km先の信号を左折し国道42号線に入ります。約400m先のすさみ駅前の信号を左折します。約200m先、周参見駅で右折し線路沿いを約200m先進んで、左折し紀勢本線の踏切を渡ります。踏切を渡り、すぐを左折し線路沿いを進みます。約300m先の右手が萬福寺です。寺の前が広いのでここで駐車しました。萬福寺の本堂の裏手に階段があり小さな稲荷神社があり、ここで右手に行くと木戸があり、ここを開けて山道に入ります。比高60mの周参見城を経由し周参見城の背後の尾根を登って行きます。(明瞭な登城道はありません。) 麓から50分ほどはかかると思います。木戸に注意書きがありますが、登る前に萬福寺に声をかけてから登ることと、夏場でも午後5時以降の入山は禁止になってます。(冬場は遅くとも午後2時には登城を開始した方がいいです。往復2時間では遺構をきちんと見て帰ってくるにはきついですので。)
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| 訪城備忘録 |
木戸を抜けて山道を比高で50mほど登ると秋葉神社でここは周参見城です。本殿の背後から尾根を登ります。明瞭な道は無いですが、踏み跡道とピンクのリボン、途中に白杭があったりで迷う事はないですが、なかなか城跡につかないという印象です。(笑) 途中、平坦地が三か所くらいあり、また、全体に巨石の多い尾根ですが、一か所、巨石が尾根を完全に塞いでいる箇所があり、いったん右斜面に下りて廻り込むように背後の尾根に登る箇所があります。最後、城跡手前に開けた尾根に出ます。ここからの眺望は抜群です。
城域に入るとまずは主郭西斜面の三重堀切です。特に主郭下の堀切は明瞭で、主郭切岸斜面や、堀切の土塁に残存石積みが残ってます。切岸を登ると主郭です。周囲を土塁が巡り、土塁には残存石積みが多く残っています。北側土塁には祠が建ってました。主郭の東南下の尾根の南側にU字の堀切・堅堀がありました。
主郭北側の切岸を下ります。切岸斜面にも大石が散乱しています。北側尾根の最初は削平が甘いですが、東斜面に大きな堅堀があり、石積みの痕跡もありますので郭ではあるとは思います。この先に北尾根の三重堀切があります。 西側の三重堀切より大きく明瞭でした。神田城よりは迫力はなかったですが、それでもしっかりした遺構です。三重堀切の先、北尾根端に大きな郭があります。北西側に大きな高まりがあり、それに続いて西側に土塁が続きます。この土塁も残存石積みがあります。
こんなに高いところにある城跡ですが、二か所の三重堀切、特異なU字堀切、数か所の堅堀などで守り堅固で、居住性すら感じる城跡でした。
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登り口の木戸
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築城時期は不明のようです。鎌倉幕府より地頭職を命じられこの地に入った藤原氏(藤原北家の系統)は周参見氏と名乗ったようです。一説には応永八年(1401年)に藤原城を築いたとされます。天正十三年(1585年)、羽柴(豊臣)秀吉より領土安堵をされました。 慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いでは西軍に付、周参見主馬大夫氏長は慶長七年(1603年)に獄死したようです。さらに、慶長二十年(元和元年 1615年)、周参見安親は大坂城夏の陣で大坂城に参陣しましたが、捕縛され、その後は帰農したようです。
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