紀伊 神田城



ファイルNo3356


                         連続堀切を西下から           

@ かんだじょう 
  別名  

A住所:西牟婁郡すさみ町周参見
B目標地点:持宝寺
C形式:山城  D比高:50m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・畝状竪堀・土塁
G時代/人物:戦国期/宇都宮氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2017年12月

  

道案内 

国道42号線の平松の信号から県道38号線に入ります。約2km先、県道が左に急カーブになる手前で右へ入る路地に右折します。50m先の左手の持宝寺の墓地から登ります。 あるいは、紀勢自動車道のすさみインタを下り、県道38号線を国道42号線方面に進みます。約2.2km先で左手路地に左折したところが持宝寺です。
 
訪城備忘録

持宝寺の横の駐車場から寺の裏手の墓地へ行き、コンクリート階段を登り、赤い鳥居を二つ越えると金毘羅宮で、この社殿裏右手に登り道があり、そこを登ります。 北斜面の三重堀切に至りますが、城道として一直線に各堀切に土橋が架かります。一番手前の土橋は遺構であってほしいですが、上の二つは参道用に改変されたんでしょうね。三重堀切から落ちる竪堀は西側にはやや緩斜面を落ちますが長く明瞭に残ります。郭は北側に二の郭、その南側、8mほどの上に主郭があります。各郭の周囲には低い土塁が巡っていたようには見えます。両郭ともに広い空間で居住性を感じます。西側斜面には二の郭下には横堀、主郭下には畝状竪堀が構築されています。郭で防御方法が違うのも変ですが・・・。横堀は二の郭北側一部から西側へL字に巡り、端の障壁には石垣があります。この石垣、当時のものかな? 畝状竪堀はシダなどの草に覆われ明瞭には見られません。主郭南側にこの城の最大の見所の五重堀切があります。細尾根に主郭下の堀切から三重目までは深く鋭い堀切でそれから落ちる竪堀も急な傾斜で明瞭です。浅い四重目、五重目の堀切を越えると深いもう一つの堀切があります。この先に麓からも見える高圧鉄塔が建っていてこの六番目の堀切が城域端と思ったんですが鉄塔の先にももうひとつ堀切があるようです。とにかく主郭南の五重堀切の内の三重堀切は圧巻の連続堀切でした。

主郭からの眺望
歴史

下野宇都宮氏の一族で、当地に移住した宇都宮道直が永禄十二年(1569年)に築城したようです。当地の豪族の周参見氏(本城:周参見城)との関係が深いようです。道直は本願寺に加担し織田信長と戦ったようですが、石山の戦いの終結した天正八年(1580年)までには神田城は廃城になったようです。

主郭南下堀切         北西斜面の連続堀切
  
三重堀切の土橋(遺構かは?)
北斜面の連続堀切から竪堀
西側横堀
横堀側から連続堀切を見る
横堀         横堀端石垣
畝状竪堀
主郭南下最初の堀切
主郭南下最初の堀切
主郭南連続堀切
主郭南の堀切
主郭南下最初の堀切
二番目の堀切     三番目の堀切
六番目の堀切
主郭        城址碑
         二の郭      二の郭から主郭の切岸

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