播磨 仁位山城



ファイルNo3789


             南斜面畝状竪堀の東側               

@ にいやまじょう 
  別名  

A住所:兵庫県佐用郡佐用町仁位
B目標地点:
C形式:山城  D比高:140m 
E現況:山林

F遺構等:郭・畝状竪堀・堀切・説明板
G時代/人物:戦国期/ーー氏
H満足度: 凸凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  山上まで車

J撮影・訪問時期:2022年01月

  

道案内    ←登り口

中国自動車道の佐用インタを下り、料金所の先の信号を右折し、国道373号線に入ります。約2km先の上町の信号で右折し、国道179号線(国道373号線と併用区間)に入ります。約7.5km先の上月三差路の信号で直進して国道373号線に入ります。約1.2km先、国道右手に「上月城址」の標識が見えた先で左折し佐用川を渡ります。そのまま集落内を約600m進んだ先の小さな十字路を左折し約200mほど進んだところにゲートがありこれを開けて山道を約1.4km先が展望台です。

訪城備忘録

城跡まで車道が出来ており車で行けます。車道で畝状竪堀が少し破壊されていますが、そのおかげで畝状竪堀を下から眺められるようになってます。南斜面にはこれでもかと畝状竪堀が構築されてますが北側斜面は支尾根に堀切があるのみで、尾根上の曲輪面と思われるところは自然地形と言わざるを得ない状態です。やはり陣城ですので、兵が駐屯するためのものであり、長期に滞在するような縄張にはなってません。展望台と呼ばれる最高地からの眺めは北側の眺望は利神城も望め、西側の眼下には上月城主郭が丸見えです。近年、伐採などの整備されたようで畝状竪堀には案山子で作られた兵士が三体いますが、一体は何故かマシンガンをもってました。(笑)

展望台
歴史

築城時期も築城者も不明です。 天正五年(1577年)の羽柴秀吉が赤松正範の上月城攻めの際の安藤信濃守の陣城と言われますが、翌天正六年(1578年)に上月城に籠った尼子勝久、山中鹿之介らを攻略するため毛利氏が陣城としたとの言われます。 畝状竪堀の構築から毛利氏構築の可能性はあります。

畝状竪堀
畝状竪堀
  
現地案内板より (下が北側)
展望台から北側利神城方向
展望台より上月城を見る
展望台より南西方向眺望
ゲート入口     集落の標識
  
畝状竪堀と案山子の兵士
畝状竪堀と案山子の兵士
畝状竪堀と案山子の兵士
畝状竪堀
畝状竪堀の上
尾根上
畝状竪堀の上
畝状竪堀を上から
南斜面畝状竪堀の東側

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