丹波 八百里城



ファイルNo3077


                            西側郭の堀切

@ やおりじょう 
  別名 矢尾利城 

A住所:篠山市瀬利
B目標地点:八百里山
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・説明板
G時代/人物:南北朝期/畑氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  40分

J撮影・訪問時期:2016年03月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インタで下り、県道94号線に左折し篠山市中心部に進みます。5Km先の信号で斜め右へ県道77号線に入ります。1.4Km先の信号で左折し国道372号線に入ります。1.4Km先八上内の信号を左折します。800m先、弁天橋北の信号を右折し県道702号線に入ります。300m先で斜め左に入り、さらに300m先で左折します。約3km先で左折して県道301号線に入ります。約400m先で右折し(小さな川を越えたところ)、200m先を左折ですが、道に説明板があります。お堂の裏手から登ります。(京都方面からは京都縦貫自動車道の亀山インタで下り、国道372号線を湯の花温泉経由で進みインタから35Km先が八上です。この国道372号線はデカンショ街道というらしいです。小野新という信号から10Km先、八上内の信号です。) 
訪城記録

お堂の裏手から登りますと書きましたが道がありません。左手稜線の先端から廻り込むように尾根に登るか、赤い鳥居の右手に尾根まで動物除けフェンスが続いていますので、これ沿いに登るかですね。尾根まで行くとフェンスに扉があります。(フェンスの途中にも扉はあったと思いますが)。この尾根の扉前に二重の堀切があります。扉を開けて中に入ります。二重堀切は小型ですが結構明瞭です。そこから斜面を登ります。中腹に古墳と朽ちた祠のある平坦地があります。石垣もありますが古墳のものでしょうね。祠の裏手の斜面を登ります。最初は若干藪ですぐに無くなりますが、整備のされていない雑木林の中を急な斜面を登って行きます。登りきりと主要部東端です。この最後の斜面に両サイドに竪堀風斜面がありますが、よくわからんです。最初の郭はわりと眺望がききます。ここから山頂部の主要郭群になります。切岸がわりときつい段差を登ると次の郭、その上が左側にスロープ(登り土塁)のある郭です。こことその上の郭との切岸もわりと高いです。上の段は副郭、されに上が頂上の主郭となります。主郭は藪がきつくて西側土塁も写真にならんなぁ^^; 主郭西側はいったん大きく下り、段郭が三段ほどあり、中間と先端に二つの明瞭な堀切があります。 城跡は整備されてはいませんので、雑木林に苦戦しますが、最初の尾根の斜面から山頂部から西尾根にかけてL字の城跡が残り、戦国の城が実感できます。

説明板、後方は城跡
歴史

南北朝期の貞和五年(1349年)<南・正平四年>頃、丹波守護細川満元の弟満国、満国の息子の持春が畑庄を領して築城したとも、畑能道が築城したとも言われるようです。波多野氏が丹波小守護代になった頃は畑忠綱が城主だったようです。天文年間(1532〜55年)に畑守綱が改修したようです。天正七年(1579年)明智光秀に攻められ落城、八代畑守能は逃れたものの、息子の守国、能国は討死、守能は高野山に入山し、畑氏宗家は滅亡したとされます。


西側郭の堀切                         スロープのある郭

城跡遠望                        城跡中腹から八上城
城跡山頂部東端からの眺望
  
二重堀切
中腹の尾根斜面                 斜面から山頂部東先端を見る
スロープのある郭
山頂西側の郭の土塁                         西側郭の堀切
堀切                                  郭内
麓の城址碑                          山頂の標識
斜面のフエンス                   中腹の祠と古墳跡

近くの城・関連の城:土居の内