但馬 / 八木古城(土の城)



ファイルNo2788


                虎口

@ やぎじょうーつちのしろ 
  別名 

A住所:養父市八鹿町八木
B目標地点:
C形式:山城  D比高:310m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:鎌倉期/八木氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  八木城から比高110m・15分

J撮影・訪問時期:2013年01月・2018年06月

  

道案内 

八木城本丸まで麓から35分、本丸から八木土城まで15分というところです。
 
訪城備忘録

八木城本丸斜面石垣を見ながら西側から北側に進みます。フェンスゲートを越え、本丸背後の堀切を越えると一騎駆けのような細い尾根を進みます。尾根を越えると急坂を比高で20mほど登りますと平虎口のある郭に至ります。すり鉢的な郭で西側土塁が明瞭です。この郭の西下にも広い郭があります。この最初の郭より主郭まで数段の段郭がありますが、段郭の西側に一様に土塁があります。 三の郭に相当する郭はU字状の細長い郭で、郭内には水たまりがあり、井なのか池なのかいずれにしても水の手でしょう。夏場に行っても水はわずかですがありました。さらに上に上三の郭があり、中央に一騎掛けのような土塁が続き、そのまま上三の郭から二の郭への坂虎口になっていて、虎口は外枡形状に土塁があり、なかなか技巧的です。二の郭奥に砲台状の主郭があります。 主郭背後には薄いですが堀切があります。 典型的な連郭式山城ですが、遺構の残存度がよく、見ごたえのある城跡と思います。

主郭
歴史

築城時期などは不明のようです。平安期に閉伊頼国が築城したとも、鎌倉初期、朝倉高国が閉伊行光を破り、高国の次男の重清が八木氏を名乗って築城したともされます。八木氏は15代続き、15代豊信の時、天正七年(1579年)に羽柴秀吉に攻められ降伏、翌天正八年(1580年)には毛利氏に攻められ落城し豊信は消息不明となりました。 天正十三年(1585年)に別所重棟が1万5千石で入り、中腹の城は石垣の城に大改修されました。 慶長五年(1600年)の関が原の戦いでは西軍に与し田辺城攻撃に加わり、改易となり、城も廃城になったようです。 この土の城と中腹の石の城がどの時期に拡張されたのかわかりませんが、中腹の城の縄張りも基本は連郭式の山城であり、構造自体は似ています。

二の郭から主郭を見る
上三の郭から二の郭への桝形虎口
桝形虎口      二の郭
  
一騎駆けの尾根      最初の郭虎口
最初の郭
最初の郭
最初の郭
最初の郭
水の手の郭
水の手郭
上三の郭から二の郭への虎口
二の郭
二の郭内から虎口
       主郭      主郭から二の郭を見る
主郭背後の郭       堀切
上三の郭全景

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