但馬 / | 八木城 |
ファイルNo2787 |
@ やぎじょう |
道案内 ←城跡 ←登り口 ←駐車場 | |||
舞鶴若狭自動車道春日インタから北近畿豊岡道で55km先、あるいは中国自動車道福崎インタから播但自動車道で55km先、和田山ジャンクションから北近畿豊岡自動車道で15km先、八鹿氷ノ山インタを下り国道9号線を鳥取方面に進みます。3.6km先の点滅信号で、右折は城跡の登城口ですが、車の場合は左折し、50m先を右折、150m先の右手に下八木公民館があり、この前の駐車場が八木城訪城用の駐車場になっています。 |
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訪城備忘録 | |||
麓から尾根へひたすら登ります。中間の東屋までが400m、城跡までそこから500mと表示されています。初回訪城時は残雪も残っていたため、歩きにくく、1kmが長く感じました。「これより八木城跡」の白い標柱から城跡で道の左手上に東の郭郡を見ながら登ります。東の郭郡、三の丸と段郭が続き、本丸下の二の丸に至ります。ここまでの郭は細長い山城の段郭で堀切はなく、切岸のみの防御のようで、土塁もありませんが、ひとつの郭はけっこう広いです。本丸下の二の丸も土塁もなく、単調です。本丸は高い切岸で周囲を石垣が固めています。ここだけ近世の城で唐突な感じもします。本丸には土塁も巡り、側面には石垣が構築され、ほぼ近世の本丸です。また、大変広い空間です。本丸北下には堀切があり、その先は一騎駆けのような細い尾根が続き、そこをさらに登ると土の城に至ります。 2018年06月に再訪しました。もう夏でしたので汗だくで登りましたが、雑草は少なく藪にはなってませんので、見やすいです。前回は雪が被って見にくかった石垣も今回はバッチリでした。ところどころが崩れていて裏込石が見えていたりして、廃城感満載です。 |
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八木城の前身はこの城の西方峰にある土の城から始まりますが、築城時期などは不明のようです。平安期に閉伊頼国が築城したとも、鎌倉初期、朝倉高国が閉伊行光を破り、高国の次男の重清が八木氏を名乗って築城したともされます。この石の城は天正十三年(1586年)、別所重棟が入り、石垣の城に改修したとされます。廃城は慶長五年(1600年)頃とされます。 |
近くの城・関連の城:八木古城(八木城土の城)