但馬 / 八木城



ファイルNo2787


          本丸石垣

@ やぎじょう 
  別名  

A住所:養父市八鹿町八木
B目標地点:下八木公民館
C形式:山城  D比高:220m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・堀切・竪堀・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/別所氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登り口より(900m)35分

J撮影・訪問時期:2013年01月・2018年06月

  

道案内  ←城跡   ←登り口   ←駐車場

舞鶴若狭自動車道春日インタから北近畿豊岡道で55km先、あるいは中国自動車道福崎インタから播但自動車道で55km先、和田山ジャンクションから北近畿豊岡自動車道で15km先、八鹿氷ノ山インタを下り国道9号線を鳥取方面に進みます。3.6km先の点滅信号で、右折は城跡の登城口ですが、車の場合は左折し、50m先を右折、150m先の右手に下八木公民館があり、この前の駐車場が八木城訪城用の駐車場になっています。
 
訪城備忘録

麓から尾根へひたすら登ります。中間の東屋までが400m、城跡までそこから500mと表示されています。初回訪城時は残雪も残っていたため、歩きにくく、1kmが長く感じました。「これより八木城跡」の白い標柱から城跡で道の左手上に東の郭郡を見ながら登ります。東の郭郡、三の丸と段郭が続き、本丸下の二の丸に至ります。ここまでの郭は細長い山城の段郭で堀切はなく、切岸のみの防御のようで、土塁もありませんが、ひとつの郭はけっこう広いです。本丸下の二の丸も土塁もなく、単調です。本丸は高い切岸で周囲を石垣が固めています。ここだけ近世の城で唐突な感じもします。本丸には土塁も巡り、側面には石垣が構築され、ほぼ近世の本丸です。また、大変広い空間です。本丸北下には堀切があり、その先は一騎駆けのような細い尾根が続き、そこをさらに登ると土の城に至ります。

2018年06月に再訪しました。もう夏でしたので汗だくで登りましたが、雑草は少なく藪にはなってませんので、見やすいです。前回は雪が被って見にくかった石垣も今回はバッチリでした。ところどころが崩れていて裏込石が見えていたりして、廃城感満載です。

城址碑
歴史

八木城の前身はこの城の西方峰にある土の城から始まりますが、築城時期などは不明のようです。平安期に閉伊頼国が築城したとも、鎌倉初期、朝倉高国が閉伊行光を破り、高国の次男の重清が八木氏を名乗って築城したともされます。この石の城は天正十三年(1586年)、別所重棟が入り、石垣の城に改修したとされます。廃城は慶長五年(1600年)頃とされます。

本丸虎口を内側から
本丸西面石垣
   本丸石垣        本丸虎口石垣
現地案内板より
殿屋敷(居館)跡遠望
本丸より西側眺望
  
城域手前        秋葉の祠
東南先端郭
郭からの眺望
切岸
東南の郭
二の丸下堀切状
三の丸
三の丸
二の丸
本丸南西角から
本丸西側付け櫓下石垣現状
本丸西側付け櫓下石垣現状
本丸西面石垣と付け櫓石垣
本丸西面石垣
本丸北面石垣
本丸北面石垣
本丸東面石垣
本丸
本丸内石垣
北面から西面石垣   本丸石垣     西南端石垣
南西尾根側段郭石垣
西面下から本丸石垣を見る
本丸北下背後の堀切
本丸北下堀切

近くの城・関連の城:八木古城(八木城土の城)