長門 | 萩城要害 |
ファイルNo2943 |
@ はぎじょうようがい |
道案内 | |||
萩城本丸背後に指月山への登り口があり、約20分のつづら道を登ると山頂部の詰めの城に至ります。 |
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訪城備忘録 | |||
づつら道を登りきると要害門の桝形虎口に至ります。そこを抜けると二の丸に相当する下の段と本丸の相当する上の段があり、周囲はすべて石垣で固められています。本丸北側には山中矢倉に向かう搦め手虎口の石垣も残ります。また、上の段中央に残る巨石などが矢穴が多数認められ、ここが石切り場でもあったようです。 大人数は収容できないでしょうyが、まだ、関ヶ原が終わって数年後の築城のため、万一を意識したもののようであり、もうこの詰めの丸自体がもうひとつの城郭という感じです。 |
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戦国期、津和野の吉見氏の出城として築かれ、天正九年(1582年)以降に吉見正頼の隠居の城となったようです。 その後、慶長九年(1604年)に毛利氏が萩城築城の際に山頂部を要害として改修したとされます。 |
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