安芸 鎮海山城



ファイルNo3772

能島村上氏が能島を離れて移り住んだ城

          主郭         

@ ちんかいやまじょう 
  別名  

A住所:竹原市竹原町
  

B目標地点:竹原小・貞光両神社
C形式:山城  D比高:90m
E現況:山林

F遺構等:郭・石積み?・説明板
G時代/人物:戦国期/能島村上氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  道の駅たけはらから15分

J撮影・訪問時期:2021年11月

  

道案内      ←元吉墓側登り口

山陽自動車道河内インタ下り、インタ入口の信号を右折し国道432号線に入ります。約6.5km先の新庄の信号を直進し国道2号線を横切ります。約1.2km先が小早川神社バス停(竹原駅方面バス停)でこの東側の山が木村城です。ここから約5km先、竹原市役所南の信号を左折し国道185号線に入ります。(ここを直進し県道246号線に入り約400m先は竹原駅です。) 国道を約400m進むと本川を挟んで新港橋西詰・たけはら町並み保存地区の信号で、国道は保存地区の信号で右折です。角は道の駅たけはらです。ここの駐車場からの先の宗五郎橋のところから田ノ浦川沿いの道を約200m進みます。竹原小の手前、貞光両神社との間の道を入ります。(城跡の道標あり) ここから道標に従って登って行くと城跡主郭です。

訪城備忘録

主郭を中心に九段の郭があったとされますが、明確な遺構は残っていないようです。山頂には説明板とモニュメントの矢倉があり、石積みがありますが、これは城山神社のもののようです。眺めは竹原の町、瀬戸内海が良く眺められます。また、北側斜面には石列っぽい石もあるんですが、自然石の割れたものか後世のものはでしょうね。北側麓近くに村上元吉の墓があります。ここへ登ってくる道は住宅街から道標のない箇所で登るため登り口は見つけにくいです。

竹原は安芸の小京都と呼ばれ、江戸期以降の建物が多く残る保存地区があります。竹鶴酒造はNHKの朝の連続ドラマのマッサンのモデルの竹鶴政孝氏の生家などなどが残ります。
長生寺には河野通直の墓があります。通直は河野氏最後の当主でsり、天正十三年(1585年)の豊臣秀吉による四国攻めで領地を没収され、小早川隆景の計らいで竹原に移り住みましたが、天正十五年(1587年)に病死したもので、長生寺は隆景が通直のために建てた寺とされます。

歴史
貞光両神社前登り口標識

能島村上水軍、村上武吉、元吉親子は天正十三年(1585年)に豊臣秀吉から能島城を追われ、小早川隆景の領地であった竹原に移住し鎮海山城を築いたとされます。慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いでは西軍に付き、伊予の加藤嘉明の伊予松前城を毛利軍とともに攻めましたが、三津浜の戦いで敗れ元吉は討死しました。慶長六年(1601年)、毛利氏は防長二国に減封されたため、村上氏も毛利氏に従い鎮海山城は廃城になったようです。 武吉は慶長九年(1604年)、周防大島にて死去、跡を元吉の子の元武が継ぎました。

石積み<城山神社遺構?>            主郭下
長生寺から城跡遠望
主郭からの眺望
  
主郭
主郭
主郭周囲
主郭から竹原市街地を見る
村上元吉の墓
頼山陽像
安芸の小京都 竹原 <景観保存地区>
  鳥羽町通り
本町通りから正面は旧:笠井邸
竹鶴酒造 <ニッカ創業者 竹鶴政孝(マッサン)の生家>
旧:松阪家住宅
旧:松阪家住宅
板屋小路
本町通り 左手一番手前の家が旧:吉井家住宅
春風館・復古館(左手)と大小路
胡堂(正面・映画時をかける少女のロケ地)
歴史民俗資料館     竹鶴政孝・リタの像
頼惟清旧宅(右手)
藤井酒造 
光本邸
最古の郵便ポスト        旧:上吉井家住宅(旧郵便局)
長生寺山門       河野通直の墓

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