鎌倉七口切り通し
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鎌倉は三方を山に囲まれた土地であり、その山が防衛線となっている。鎌倉への出入りは切通が掘られ、その主要なものを鎌倉七口と呼びます。その切通を巡ってみました。二日間に分けて、バスと江ノ電を使っても、二日間で30kmほど歩きました。 @ 亀ケ谷坂 北鎌倉から源氏山方面へ抜ける道となって、現在も使われており、やや当時の雰囲気は失われています。 A 化粧坂 海蔵寺近くから源氏山に登る道となっています。岩が露出し、趣はありますがここも当時の状態は失われています。 A 大堀切 源氏山の葛原岡神社の裏手へ尾根筋を進むと大きな起伏があり、尾根を遮断しています。大堀切には見えますが、さて?? B 巨福呂坂 完全に消滅してしまったようです。古ぼけた木の碑がありました。現在は県道21号線がその雰囲気を残しています。 C 名越切通 当時の雰囲気がわりと残っていますが、発掘調査では江戸期の頃は今よりもっと深かったようで、その後土砂が埋まって現在の高さになったようです。鎌倉期は深かったのか浅かったのかは発掘調査でも判らなかったようです。 B 大切岸 法性寺から尾根側を見ると岩盤の壁が1kmほど続いているように見えます。高さも10m以上あるため、ここを越えて鎌倉には攻め込めないということであったでしょう。 D 朝夷奈切通 一番当時の雰囲気が残っている切通です。鎌倉側からは岩盤の坂道を登って行きますが、常に水が流れていて滑りやすいです。峠に大きな岩盤がせり出しでいて 岩壁に仏様が刻まれています。横浜側に少し降りた切通は道幅が本当に狭く、これぞと思う雰囲気です。 E 極楽坂 当時は成就院の山門ぐらいまで高い位置にあったようで、江戸期に掘り下げられて今の深さになったようです。現在も生活道路となっているため、雰囲気としては失っています。 F 大仏切通 現在は一部通行止めになってます。当時の雰囲気は残っていますが、登り口がわかりにくいのと通行止めで見学できないのは残念です。 2012/06訪問 |