神奈川の城03  

                                                                               

土肥氏館  2371
城址碑

城願寺(後方の木はビャクシンの木)
A足柄下郡湯河原町城堀
B湯河原駅・城願寺
国道135号線の湯河原高校前の信号を右折し県道75号線に入ります。1.2km先が湯河原駅で、駅ロータリーに城址碑と説明板、土肥実平夫妻の銅像があります。駅裏の城願寺には土肥氏一族の墓や実平が植えたとされるビャクシンの木があります。

C平城
F遺構等:碑・説明板・一族墓
G平安期/土肥氏 
H満足度:凸
土肥氏は中村荘司宗平の次男の実平が土肥次郎を名乗った事が土肥氏の始まりです。その後、北条氏の執権時代の始めには相模土肥氏は衰退しますが、実平の子の遠平は小早川弥太郎と名乗り、養子の景平(茂平)が安芸に下り、小早川氏の祖となります。建長年間(1249〜55年)に土肥頼平が越中に地頭として入り、越中土肥氏の祖となります。

J訪城:2010/01
  
中原御殿  2351
説明碑
大手道説明板
A平塚市御殿2丁目
B中原小学校
平塚駅側から国道1号線で来ると、検察庁前の信号で県道61号線を伊勢原方面に曲がります。1km先六本の変則五差路の信号で斜め左折に入ります。750m先、右手に交番のあるところで左折します。この角に大手道の碑と説明板があります。200m先T字が中原小学校でT字交差点の学校側に石碑が建っています。

C平城
F遺構等:碑・説明板
G戦国期/徳川氏 
H満足度:凸
徳川家康の鷹狩の宿泊所として、慶長元年(1596年)に築かれたとされます。寛永十年(1642年)に修復の記録があり、明暦三年(1657年)には取り壊されました。

J訪城:2009/12
   

座間城 2342
城址碑
A座間市入谷1丁目
B星ノ谷坂下の信号
県道51号線と県道42号線が交差する星ノ谷坂下の信号の県道51号線の海老名方向の道沿いに石碑が建っています。石碑は相当に風化し、「白井是房館跡」と刻まれています。


C平城
F遺構等:碑 
G戦国期/白井氏 
H満足度:凸
応仁・文明年間(1467〜87年)の頃、白井織部是房が館を構えた伝わります。

J訪城:2009/12


海老名氏館  2343 
城址碑

海老名氏霊堂 
A海老名市川原口〜上郷
B有鹿神社・有鹿幼稚園
国道246号線で厚木から来ると相模川を渡り700m、下今泉の信号を右折し県道51号線に入ります。3.3km先で河原口の信号の100m手前を斜め右に戻る感じで右折します。150m先の左手に城址碑があります。さらに、300m先を左折し左に有鹿小学校、右に有鹿神社のところを越え、小学校の敷地が切れた50m先を右折します。200m先右手が有鹿幼稚園で、さらに100m先の路地を右折した50m先に霊堂があります。
実際の館は城址碑側ではなく県道51号線の反対側であったようです。
C平城
F遺構等:なし 
G平安期/海老名氏 
H満足度:凸
海老名氏は村上源氏、横山党の流れとされます。藤平年間(1058〜64年)に源親季または季兼が入り海老名氏を名乗ったとされます。孫の季定(季貞すえさだ)は源頼朝に従い、後に御家人となりました。永享十年(1438年)の永享の乱で関東管領足利持氏に攻められ滅亡したとされます。


J訪城:2009/12


上浜田遺跡  2344 
館跡礎石
A海老名市浜田町
B浜田歴史公園
国道246号線で厚木から来ると相模川を渡り700m、下今泉の信号を右折し県道51号線に入ります。3.4km先で河原口の信号左折して厚木街道に入ります。1.5km先の国分坂下の信号で右折し、400m先の信号で左折します。1.4km先左手が浜田歴史公園です。

C平城
F遺構等:なし 
G室町期?/大谷氏? 
H満足度:凸
築城時期、築城者は定かでは無いようですが、発掘調査では南北朝期から室町期のものが出土したようです。渋谷一族である大谷氏の関連が推測されるとの事です。
J訪城:2009/12