武蔵 花園城



ファイルNo2293

遺構完存の埼玉屈指の城跡

                        四の郭石垣    

@ はなぞのじょう 
  別名 

A住所:大里郡寄居町末野
B目標地点:善導寺・諏訪神社
C形式:山城  D比高:110m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・石垣・碑
G時代/人物:平安期/藤田氏
H満足度: 凸凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社から15分、

J撮影・訪問時期:2009年10月・2010年11月

  

道案内 登城口の神社 

関越道花園インタを下り、国道140号線(彩甲斐街道)を寄居・秩父方面に進みます。7.5km先、県道30号線との合流の末野陸橋の信号を越えて250m先の信号を右折し、250m先で秩父鉄道を越えると正面が普導寺です。踏み切りを渡ると左折し、秩父鉄道沿いに300m進むと右折し100m先の諏訪神社まで行き、その背後から登ります。

訪城備忘録

諏訪神社の本殿右手から本殿裏手を廻って竪堀沿いに登る道が有ります。半分藪状態ではありますが、横の竪堀は明瞭な形を残していました。尾根手前で左手に横堀が見えますが、これも藪状態(主郭下の横堀)・・・。二の郭も藪^^; さらに登り左方向が主郭です。二の郭と主郭の間は岩盤の堀切になっていました。主郭はわりと藪は無く、上の段(土塁状)と下の段になってる長方の郭です。主郭に城址碑が建っています。主郭の下の段の南側斜面には石垣の痕跡が残り、西側下には三日月状に弧を描く堀切もあります。二の郭から東側に三の郭、四の郭とあり、各郭は堀切で隔てられています。四の郭の南斜面には規模の大きな石垣が残ります。四の郭東側の堀切は大きな竪堀に繋がり、これを下りていくと諏訪神社の東側の麓に出ました。とにかく、遺構は完存であり、堀切、竪堀は非常によい状態で残っていますが、残念ながら、どこも藪状態で見学しにくいな。ちょうど訪城した時は地元のお祭りで、神社に地元の方が集まってきのこ汁を作っておられ、一杯いただきました。たいへんおいしかった。地元の方に整備できんですかねってねだってみました(笑) なお、近くの善導寺は藤田氏の菩提寺、少し東に離れますが、正龍寺には北条氏邦夫妻の墓が有ります。氏邦は北条氏滅亡後は前田氏に保護され能登で亡くなったんやって初めて知りました。^^; また、天地人で上杉氏重臣の直江兼続は有名になったけど、上杉氏に使え、関が原の戦い前に上杉氏から離れた藤田信吉は康邦の次男だったんだって事も改めて認識しました。

城址碑
歴史

築城時期は定かではありませんが、平安末期、猪俣氏の一族の藤田政行が築いたとされます。十五代康邦(重利)は山内上杉氏から北条氏康に従い、氏康の三男の氏邦を婿に迎え、康邦は用土城に隠居し用土新左衛門と改名したとされます。永禄十一年(1568年)頃、氏邦は鉢形城に本拠を移しました。天正十八年(1590年)、豊臣氏の小田原城攻めの際に落城したとされます。

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主郭下の郭(南側)石垣           四の郭の長大な竪堀
二の郭側石列               岩盤の堀切
主郭下の郭               主郭西下堀切
  主郭下の郭石垣               二の郭と三の郭の堀切
四の郭下の郭の土塁                四の郭石垣   
  
正龍寺                   善導寺

近くの城・関連の城:花園御岳城