上野 大胡城



ファイルNo2480


                       堀     

@ おおごじょう 
  別名 

A住所:前橋市河原浜町
    旧:勢多郡大胡町

B目標地点:
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・旧公共施設

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/大胡氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分
J撮影・訪問時期:2010年06月

  

道案内 

北関東自動車道伊勢崎インタを下り、国道17号線を前橋方面に進みます。10km先の高架を下り右折して県道40号線に入ります。道なりに5km進み、茂木町の信号で県道3号線を横切ります。1km先で県道は右折し、200m先の大川橋西詰の信号を左折し県道16号線に入ります。300m先を左折し、200m先が城跡です。

訪城記録

草木の多い時期に訪れたので、土塁、空堀が草に覆われ形状がぼけてしまっていますが、主郭周辺の土塁と掘はわりと良く残っていると言えます。しかし、江戸初期まで使われた城にしては貧弱な感じはします。二の郭は今は使われていませんが、公共施設であったようですので、旧状は無い感じです。

城址碑
歴史

天文年間(1532〜55年)に大胡氏が築城したとされます。大胡氏は鎌倉期よりこの地域に勢力を持っていたようです。ただ、大胡氏は天文年間に金山城の横瀬氏に圧迫され、天文十年(1541年)に大胡重行は江戸の牛込に移り後北条氏に従い、牛込城を築いて牛込氏と名乗ったとされます。大胡城は横瀬氏の家臣の益田氏が入ったようです。永禄四年(1561年)、上杉謙信が関東遠征の頃以降には北条高行(後北条氏ではなく、越後の北条(きたじょう)氏)の持ち城になったようです。天正六年(1578年)の謙信が死去した後は北条高行は武田方に属し、天正八年(1580年)の武田勝頼の進攻時期は武田方の属城になったようです。天正十年(1582年)の武田氏滅亡、それに続く本能寺の変で織田氏勢力(滝川一益)が一掃された後は後北条方の城であったと考えられます。天正十八年(1590年)の小田原城攻めで後北条氏が滅亡した後、関東に移封した徳川家康の家臣の牧野康成が二万石で入城しました。元和二年(1616年)に牧野氏は越後に転封となり、前橋城の酒井氏の所領となり、城は廃城になりましたが、要害地として管理されていたようです。しかし、寛延二年(1749年)酒井氏が姫路に転封となり、完全に廃城になったようです。


主郭土塁

主郭を外側から

  

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