武蔵 / 世田谷城
+豪徳寺



ファイルNo1960


                            空堀と土塁

@ せやがやじょう 
  別名 

A住所:世田谷区豪徳寺2丁目
B目標地点:世田谷城址公園
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・宅地

F遺構等:土塁・空堀・説明板
G時代/人物:南北朝期/吉良氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  世田谷線上町駅から20分

J撮影・訪問時期:2008年09月・2017年05月

  

道案内 

世田谷線上町駅から北東方向210m、世田谷線宮ノ前駅から南東方向300mです。両駅とも駅からほぼ一本道ですから分かりやすいです。小田急線豪徳寺駅から世田谷線山下駅で乗り換えて向かってください。  <車では国道246号線を渋谷方面から来ると、世田谷上馬4丁目の上馬の信号で右折します。900m先の若林の信号で左折し、1.4km先の世田谷3丁目の信号を直進し、40m先の上町駅の信号で右折し、210m先が城址公園です。>
 
訪城コメント

城のどこの部分が残っているのかよくわかりませんが、小公園に奇跡的に空堀の一部と土塁の一部、郭の一部が残っています。空堀の斜面はコンクリートで固められてしまっていますが。それでも都内23区では遺構のある数少ない城跡でしょう。

2017年、FB友に教えてもらったんですが、城址公園の背後には空堀土塁がそのままの姿で残っているとの事で見に行きました。なるほどの残り方でした^^V

現地案内板より
歴史

南北朝期に吉良治家が築城したと伝わります。世田谷吉良氏は初め鎌倉公方に従い、後、上杉氏に従ったようですが、その後、後北条氏に与したようです。天正十八年(1590年)の後北条氏滅亡の際、廃城となったとされます。

空堀
土塁?
空堀
城址公園内空堀と郭
城址公園の石碑と説明板         この奥に空堀
豪徳寺

文明十二年(1480年)に世田谷城主の吉良政忠が叔母のために建立した弘徳院を前身とする寺です。寛永十年(1633年)に彦根藩の世田谷領が成立後、井伊家の菩提寺とされ、二代藩主直孝の法号から豪徳寺と改称しました。豪徳寺には幕末の大老、井伊直弼の墓もあり、直孝の故事より招き猫の寺としても名があり、彦根のキャラクターのひこニャンのモデルでもあるそうです。

山門
佛殿                       招猫殿
  
彦根藩江戸上屋敷の門                 井伊直弼の墓 

近くの城・関連の城:世田谷代官屋敷