大分の城004/  

                                                                               

一ツ戸城  1741
城址遠景

国道沿い城跡説明板
@ひとつどじょう  一戸城
A 中津市耶馬渓町宮園
 旧:下毛郡耶馬溪町

B山国トンネル・妙見嶽

国道10号線の新山国大橋から国道212号線に入ります。28Km先、山国町との境にある山国トンネルの上の山が城跡です。トンネル手前の右手神社の麓、国道沿いに説明板があります。岩山が城跡です。山容を見て登る気力がなかったです^^;

C山城
F遺構等:説明板・(郭・竪堀・石積み) 
G南北期/友杉氏 
H満足度:途中断念

建久三年(1192年)に友杉民部が築城したという言い伝えもあるようですが、康暦元年(北朝)/天受五年(南朝)(1379年)に大内義弘が豊前守護となって後、友杉民部がこの地の地頭となり築城したとされます。友杉氏は中間氏・一戸氏・大江氏とも称したようです。天正十五年(1587年)黒田孝高(如水)が中津城に入部後、中間統胤は黒田氏に従い、城は黒田氏の出城となり、中間氏がそのまま在城しました。関が原の戦い後、黒田氏の筑前移封に中間氏は従い、この地をはなれました。その後、細川氏の出城として機能しましたが、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となりました。<現地案内板より>

J訪城:2007/07
  
池永城  1650 
左手土塁?<違うかな・・>
@いけながじょう
A中津市上池永
B
国道213号線、中津総合庁舎の先の高架下から県道675号線に入ります。2Km先、中津胃腸病院を越えた先、左手一帯が上池永です。資料では集落に高さ2mほどの土塁が残るとありましたが、特定出来ませんでした。館と集落を取り込んだものであったようです。県道675号線沿いの池永地区のバス停に「古城の坂」というのがありました^^V 若宮神社付近が城館?。 バス停より300m先、久下のバス停で左手に入り、800mほど道なりに行った左手奥が若宮神社です。

C平城
F遺構等:土塁? 
G期/池永氏 
H満足度:凸

築城年代は定かではないようですが、宇佐宮大宮司宇佐氏の系統の池永氏の館とされます。天正十六年(1588年)、前年に中津には入封した黒田官兵衛の軍に攻められ、池永重則は自刀したとされます。

J訪城:2006/12
 ←城跡周辺
横から
「古城の坂」というバス停