豊前 / 中津城



ファイルNo1575

黒田氏が築城を開始し、細川氏が完成させた水城

                          模擬天守と復興櫓、石垣と薬研堀  

@ なかつじょう 
  別名 扇城

A住所:中津市二ノ丁 
B目標地点: 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・神社・市街地 

F遺構等:石垣・水堀・模擬天守・説明板 
G時代/人物:戦国期/黒田氏・細川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  中津公園(神社)より5分

J撮影・訪問時期:2007年02月・2016年09月
             2017年01月

  
水門石垣

【道案内】 

北九州側から国道10号線で来ると山国川を新山国大橋で渡ってすぐの信号を左折し、U字に下りて、次の信号を右折して国道212号線に入ります。2Km先が新万田の信号、2.4Km先の信号が国道213号線で、いったん左折して国道213号線に入り、400m先を右折して県道23号線に入ります。400m先でJRのガードをくぐり、すぐの信号を左折して県道108号線に入ります。400m先を右折し、800m進むと中津公園(中津神社)です。




【現況・訪城記録】

約十年ぶりに中津城を散策してみました。中津にはよく宿泊しますが、夜に来て、朝には仕事に向かうため、城に行くことはなかなかありませんでした。模擬天守は昭和39年の天守ですが、史実にはないとは言うものの、城跡の趣を壊さずに、なかなか堂々とした感じです。本丸北面の石垣(模擬天守の北側石垣)は、黒田氏時代と細川氏時代の石垣が並んでいる箇所は真ん中に黒田氏時代の算木積が挟まっていておもしろいです。(姫路城の三国堀の石垣にもこんな継ぎ足し箇所がありますがね) 大手門石垣、西門石垣が市街地となった周辺に残っています。訪れた時は中津公園側の石垣の積み直しを含めた整備をされていました。

2016年09月に再訪しました。以前に訪城した際には整備中であった御殿側の土塁石垣なども綺麗になっており、大河ドラマの騒動も収まって、静かに夕陽を浴びる城跡です。
2017年1月、朝に一瞬立ち寄りました。朝陽を浴びる模擬天守。梅が咲き始めてました。

【歴史】

天正十五年(1587年)に豊臣秀吉より豊前六郡十六万石で封された黒田官兵衛孝高(如水)が築城しました。慶長五年(1600年)に如水の子の黒田長政が福岡に転封となり、細川忠興が豊前及び豊後二郡の39万石で丹後田辺から入封し大修築を開始しました。しかし、中津は統治に不適とし、慶長七年(1602年)に小倉城を築城し主城としました。元和一国一城令でも存続を許され、忠利に家督を譲った忠興は三斎と号し中津城を隠居城として、元和七年(1621年)に扇形の縄張りに拡張されて中津城は完成し、扇城(せんじょう)とも呼ばれました。寛永九年(1632年)に細川忠利は熊本に転封となり、忠興も八代に移りました。同年に小笠原長次が八万石で播州竜野より入封しました。小笠原氏が無嗣絶家後、享保二年(1717年)に奥平昌成が十万石にて丹後宮津より入封し、奥平氏がその後、明治維新まで続きました。

現地案内板より
  
中津公園側(本丸松の御殿側)石垣
  
椎木門石垣
    
2016年撮影
1月の梅
  

近くの城・関連の城:

          

中津公園側(本丸松の御殿側)石垣(復元工事頃)
整備なった御殿側石垣・土塁
           本丸石垣          本丸北面石垣(左/細川氏時代石垣 右/黒田氏時代石垣)
黒田時代の石垣
薬研堀の沈む祇園祭車輪                 模擬天守
<家老生田氏屋敷門> 生田門 (移築/南部小学校)           大手門石垣        
西門石垣                  西門外側石垣
2016年撮影
2016年撮影