備中松山城s  


ファイルNo1505−S


 1:下太鼓丸周辺 先端の石垣の郭群 

 2:大手門周辺  岩盤に積まれた二の丸高石垣
  
 3:土塀・三の丸 現存の三の平櫓東土塀と広い三の丸

 4:黒門から鉄門まで  黒門・四の平櫓から鉄門まで・二の丸下石垣は一番古い石垣
 
 5:二の丸・本丸・天守  二層のこじんまりした現存天守
 
 6:天守内部・天守周辺 どこまで古材なのかはありますが。珍しい囲炉裏がある。

 7:後郭・二重櫓・堀切  現存の二重櫓 小松山城北端の薬研堀の堀切

 8:相畑城戸・天神の丸  石垣で強固にされた相畑城戸とひとつの城である天神の

 9:大池  石垣で築かれた大きな池。この城の水源でもある。 2025年現在整備中

10:城域北端の番所・大たわの堀切(切通)  大きな番所石垣と石垣で補強された堀切

11:猫城主「さんじゅーろー」・展望台からの遠景 林道から天守を遠望 雲海スポット

12:根小屋  平時の居館

備中松山城メインページ

下太鼓丸周辺 2003年 
下太鼓丸石垣
下太鼓丸
下太鼓丸
上太鼓丸<2003年当時、この石垣の上に「上太鼓丸の碑がありましたが、今は?>
 大手門周辺  
中太鼓丸付近石垣
大手門手前
大手門手前
大手門より二の丸を見上げる。岩盤に石垣
大手門より二の丸を見上げるー岩盤に石垣・手前は大手櫓石垣
大手門
大手門
足軽箱番所
土塀・三の丸周辺   
大手道から 正面は三の平櫓東土塀(現存)と左端は二の平櫓跡
三の平櫓東土塀と城道
三の平櫓東土塀と城道
三の丸から
三の丸から
三の丸
三の平櫓
 黒門から鉄門まで 
黒門手前・石段正面は四の平櫓石桧垣
黒門付近
黒門と四の平櫓石垣<黒門の礎石がある>
厩郭
二の丸下石垣<現在の城域で一番古い石垣との事>
二の丸下石垣と城道
二の丸・本丸と天守  
二の丸鉄門下の厩郭端の土塀
二の丸から本丸
二の丸から本丸<手前は五の平櫓と(左手)六の平櫓(双方復元)>
天守(現存)
天守・天守の左端は八の平櫓跡
天守
天守内と周辺  
囲炉裏
一階から二階への階段
天守二階・正面は御社壇
本丸東御門(復元)
腕木御門(復元)と後方は二重櫓
天守北側
天守東側を北側から
天守背後のにj二重櫓
本丸東下腰郭から
本丸東御門の外側
 後郭・二重櫓・堀切 
搦め手門側から水の手御門脇郭と後郭の石垣を見る
搦め手門
後郭と九の平櫓石垣
二重櫓(現存)
二重櫓から天守(西側面)
二重櫓
二重櫓
堀切
番所下石垣
 相畑城戸・天神の丸 
相畑城戸石垣
相畑城戸石垣
相畑
せいろうか壇
出丸と天神の丸の間の堀切
天神の丸を下から     手水鉢     
天神の丸
 
天神の丸
天神の丸の出丸
 大池  
大池(整備中で水が抜かれ、石垣の積み直し等されているようです。
大池(2003年)
大池
大池
大池
大池
大池
大池
城域北端の番所と大わたの堀切  
城域北端の番所石垣
城域北端の切通(堀切)「大わたの堀切」
城域北端の切通(堀切)<東側斜面>
城域北端の切通(堀切)と石垣
城域北端の切通(堀切)石垣<土橋>
城域北端の切通(堀切)の外側の石垣
切通(堀切)の東下にある土塁と石垣
切通(堀切)の東下にある土塁と石垣
猫城主「さんじゅーろー」と展望台からの遠望 
猫城主「さんじゅーろー」
猫城主「さんじゅーろー」
展望台からの遠望
展望台からの本丸・天守を遠望
展望台からの本丸・天守を遠望
大松山の野猿たち
大松山つり橋
林道からの遠望
林道から天守遠望
備中松山城根小屋と武家屋敷通り  f1504  

@ びっちゅうまつやまじょうねごや A住所:高梁市内山下  B目標地点:高梁高校  
C形式:平城  D比高:ーーm  E現況:高校・市街地
F遺構等: 石垣・説明板 /人物:戦国期/三村氏 江戸期/水谷氏・板倉氏
H満足度:
凸凸 I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:10分
J撮影・訪問時期:2003年11月・2016年07月 

高校の敷地が根小屋になります。周囲の石垣が残ります。南側に武家屋敷通りがあり、武家屋敷が残ります。

築城時期は定かではないですが、三村氏が城主であった頃にはすでに存在していたようで、天正三年(1575年)、毛利氏に攻められ、焼失したという記録があるようです。江戸期に入り、代官であった小堀遠州が再建し、天和三年(1683年)、藩主水谷勝宗によって完成したとされます。

 
根小屋
     根小屋石垣
根小屋石垣
        根小屋石垣     
武家屋敷  旧:折井家
武家屋敷 旧:埴原家
奥村邸の門
武家屋敷通り(石火矢町・御殿町)
頼久寺山門
      藩校 有終館跡         藩校の前の川は外堀の役目
備中松山城本丸遠望