越後/  春日山城



ファイルNo1501

上杉謙信の居城

                          実城(天守)  

@ かずがやまじょう 
  別名 鉢ケ峯城 

A住所:上越市中屋敷春日山
B目標地点:
C形式:山城  D比高:170m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・井戸・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/長尾氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  謙信銅像前駐車場から20分

J撮影・訪問時期:2004年05月

  

道案内 ←城跡の麓入口

新潟方面から富山方面に国道8号線を進むと、国府の信号で左折し県道185号線<途中から県道180号線>に入ります。2.7km先の春日山町の信号で右折し、1.2kmほどで春日山神社です。
 
訪城コメント

現地案内板より


春日山全体が城郭という感じの巨大な山城ですが、戦国の山城であり、華やかさはありません。夕方駆け足での訪城でしたので、城のすごさは実感できませんでした。
空堀
歴史

築城時期は定かでは無いようですが、越後守護代長尾氏(高景)が南北朝時期に鉢ケ峯城として築城したのが初めのようです。その後、長尾為景(謙信の父)が永正七年(1510年)に春日山城に根小屋を構えて以後、天文十七年(1548年)に景虎(謙信)は兄の晴景に変わり家督を継ぎ、永禄三年(1560年)には本格的に築城を開始、天正元年(1573年)には実城など全体が完成したようです。この間、永禄四年(1561年)に景虎は上杉家の名跡を継ぎ、上杉政虎と改名し、その後、謙信と号しました。天正六年(1578年)の謙信死後は御館の乱を経て景勝が後を継ぎましたが、慶長三年(1598年)に会津転封となり、後には堀秀治が入封しました。堀忠俊は新たに福島城を築城し、慶長十二年(1607年)に移り、春日山城は廃城となりました。

井戸               米倉の土塁
土塁                 空堀
毘沙門堂                主郭
二の郭                 三の郭
大手道                謙信像
  
千貫門                      直江屋敷
主郭からの眺望                      −
三郎景虎屋敷                       −

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