越後 福島城



ファイルNo3589


              城跡説明板              

@ ふくしまじょう 
  別名  

A住所:上越市港町2丁目16
B目標地点:古城小
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:学校・工場・宅地

F遺構等:土塁・碑・説明板
G時代/人物:江戸期/堀氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2019年08月

  

道案内 

北陸自動車道の上越インタを下り、国道18号線に入り、直江津駅方面に進みます。約2.5km先の下源入の信号を直進し、国道350号線に入ります。約2km先、川原町の信号を越え、港橋を渡り、約400m先の信号を右折します。約200m先を左折したところが古城小学校の正門です。
 
訪城備忘録

7年程の短期間しか存在しなかった城で幻の城とも言われます。資材は高田城に移されたため、地表遺構はほぼないです。説明板周囲に転がる大石は福島城の石垣の石とも言われます。現在の古城小学校、隣の某企業の工場の周辺が城跡です。古城小学校正門左手横にやたら大きな説明板と複数の城址碑があります。そこで説明板を読んでると福島城資料館なるものがあるような。行ってみますと生徒数が減少した古城小学校の一部を老人施設として活用していたようで、この中の1階に資料館はありました。ただ、その施設も平成25年に閉鎖となっており、資料館も最後に稼働したのは平成30年5月頃までのようです。(土日のみで要予約とは書かれてましたが。) こういう保存会、顕彰会はメンバーの高齢化で活動が停まってしまう城跡ってけっこうあるんすよねぇ。その資料館をガラス越しに覗くと平成元年までの3回の発掘調査で基壇部分の石垣が相当に出ているようです。今は埋没文化財ですね。そんな中、ある写真一枚に企業のご厚意で隅櫓の土塁が残っているという写真があり、そこは古城小学校の東側、某社工場の南門守衛室の左手のフェンス沿いの中に残ってました。土塁には基壇の石垣の残存もありました。 なお、林泉寺には堀秀治、秀政の父の秀重、堀秀政の五輪塔があります。秀政は天正十八年(1590年)の小田原北条氏攻めの際に病没したため、そちらに墓はあり、当時の領地の北の庄(福井)には髷だけ埋葬されており、堀氏がこちらに転封となった後に北の庄から回葬されたものです。

校門横の城址碑
歴史

堀秀政(堀久太郎)の子の堀秀治(慶長3年(1598年)に北ノ庄から春日山に転封)が慶長6年(1601年)頃から築城を開始し、慶長十二年(1607年)に秀治の子の堀忠俊の代で完成させ春日山城から移った城ですが、忠俊が慶長十五年(1610年)に改易となり、その後に入った松平忠輝が慶長十九年(1614年)に高田城を完成させ移り福島城は廃城となりました。 忠輝が高田城を築いたのは福島城は海に近くて波の音で寝られないからという逸話もあるらしい。( ̄▽ ̄;)

りっぱな城址碑      もうひとつの城址碑
現地説明板より往時の姿
  
工場に残る南東隅櫓土塁と基壇の石垣痕跡    
工場に残る南東隅櫓土塁と基壇の石垣痕跡
現地説明板の復元図
堀秀治公・秀重公の五輪塔    林泉寺     堀秀政公の五輪塔   

近くの城・関連の城:春日山城 高田城