播磨/ 萩原城



ファイルNo1816

神戸市でもここは播磨の国

              土塁   

@ はぎわらじょう 
  別名 

A住所:神戸市北区淡河町荻原
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:雑木林・田畑

F遺構等:郭・土塁・堀切・堀
G時代/人物:鎌倉期/淡河氏・有馬氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2008年01月

  

道案内 

山陽自動車道の三木東のインターを下り、県道85号線に左折します。600m先の御坂の信号で左折して県道38号線に入ります。6Km先の淡河本町の信号です。この信号から直進1.2km先で県道がクランク状にカーブします。このカーブが終わったところに右に入る道<萩原のバス停から200m先>がありますのでここに右折します。坂を下り淡河川をクランク状に道が曲がり橋を渡ります。橋から坂を120mほど登ると小さな十字路です。この斜め左の丘が城跡です。
 
訪城備忘録

城跡は丘陵の先端部に位置し、東側と北側が急斜面になっています。雑木林になっている主郭と北側に現在水田・宅地になっている二の郭、及び、南に現在は廃棄されたトラックなんかがおかれている南丸の三つの郭があったようです。南郭の南側を登ってきた道路が通っています。主郭には二の郭側から細い道がありますし、南郭と主郭の間の堀切のところからも登れます。高さは5mほどですのでなんなく主郭に入れます。主郭は直径30m程度の楕円形で、周囲を高さ2mほどの土塁が巡っています。主郭内は雑木林状態ですが、お墓?が一基ぽつんとあり、そのそばに朽ちた城跡案内板が置いてありました。二の郭側は水田、その先は民家が二軒建っていて、遺構は消滅しているのかなという感じです。主郭の土塁、背後の堀切、しっかり遺構は残っていて来た甲斐があります。

朽ちた案内板
歴史

築城時期は定かではないようですが、淡河氏が淡河城の支城として築いたとされます。(朽ちた説明板には鎌倉末期と書いてありましたが・・・。) その後、何時ごろから有馬氏の拠点であったかですが、少なくとも、天文二十三年(1554年)以降は有馬氏の持ち城となっていたようです。天正七年(1579年)に三木城別所氏に従い淡河氏は滅亡し、有馬則頼が淡河城に移った以後、萩原城は役目を終えたようです。

  二の郭側から主郭を見る         裏手高台から城跡遠望(左手茂み)
    堀切          堀切側から土塁を見る
  

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