道案内 |
山陽自動車道の三木東のインターを下り、県道85号線に左折します。600m先の御坂の信号で左折して県道38号線に入ります。6Km先の淡河本町の信号で右折し国道428号線に入ります。100m先左手に光照寺があり、その前に国道から脇に入る道がありますので、ここに入ります。入ってすぐに右折し淡河川側に行きます。正面の段丘の上が城跡で、川を渡ると模擬の二重櫓が建っているところに登る遊歩道がありますので、これを登ると城跡です。または、県道38号線で淡河本町の信号の手前600m(淡河郵便局の手前)の信号を右折し、80m先を左折し道なりに登って行くと城跡に着きます。
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訪城備忘録 |
河川段丘の先端部を本丸(主郭)とした部分のみが残ります。現在は畑地になっている主郭を南と西に長く土塁が残り、南側の土塁(説明板には天守台となってます)の外側にL字に堀が明瞭に残っています。堀の外側は二の丸(二の郭)になりますが、今は水田になっています。また、主郭の南側の段丘端は現在畑地ですが、ここは竹慶寺跡で、一角に淡河氏の墓所が残っています。堀と土塁はなかなか明瞭で一見の価値はあります。なお、川沿いから遊歩道を登ってくると黒塗りの模擬二重櫓が建っています。少しでも城の雰囲気を出すための配慮でしょうかね? この模擬櫓、国道、県道からよく見えますので・・・。
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城址碑
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貞応元年(1222年)に北条氏の一族がこの地の地頭職に就き、淡河氏を名乗ったとされます。淡河氏は南北朝期には南朝方に付くも、その後は赤松氏、山名氏、別所氏に従いました。天文二十三年(1554年)、淡河元範の時に有馬重則に攻められ落城しました。永禄六年(1558年)に旧に復しましたが、天正七年(1579年)に三木城別所氏に従い淡河氏は滅亡し、城は有馬則頼の一万五千石の居城となりました。慶長六年(1601年)、頼範が三田城に移封され、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になりました。
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