播磨 / 感状山城



ファイルNo1584

前期赤松氏の主要城郭

                         南郭の石垣   

@ かんじょうさんじょう 
  別名 

A住所:相生市矢野町森
B目標地点:羅漢の里
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣
G時代/人物:鎌倉期/瓜生氏・赤松氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2000年08月

  

道案内   ←登城口

山陽自動車道の龍野西インタで下り、右折して県道93号線を進みます。4Km先で小犬丸の信号で左折し県道5号線に入ります。5.2Km先の真広の信号で右折し県道44号線に入ります。(国道2号線の竜泉の信号で県道44号線に入り、約6Km先です。) 400m先の左手に羅漢の里の案内が出ています。ここで斜め左に入り、羅漢の里の案内に従い2.4Km先が駐車場です。 

訪城コメント

羅漢の里に登り口があります。里の売店にて相生市発行の資料がいただけます。感状山の名前は赤松氏(則祐)に足利氏(尊氏)が新田との戦いにおいての感状を与えた事に由来するそうです。城跡は山上に多くの石垣が残り、特に南曲輪の石垣は見応え有ります。石垣は宇喜多氏時代のものという説もあるようです。赤松氏の城は石垣技術も進んでおり、時代を複合した城でしょうか? ただ、石は随所に使われていますが、古い形態の城で技巧的な縄張りというわけではなさそうです。この城に訪城したのは夏の真っ盛りで、山頂まで一気にのぼったら脱水症状になってしまい、緊急避難的にパンツひとつになって体を冷やしたです。誰もいなくてよかった^^;; これ以後、大丈夫と思っても、水はぜったいに欠かさないで山城に登るようになりました・・・。

一の郭
歴史

築城時期は定かではありません。鎌倉期に瓜生左衛門尉が築城したと伝わりますが、赤松則祐が築城の説もあります。建武三年(1336年)に赤松円心の三男の則祐は円心の白旗城と足利尊氏を助け、尊氏が京で南朝方に敗れ、九州へ落ち延びた際に新田義貞の軍に対して防戦しました。廃城も何時頃なのかも定かではないようです。


南二の郭

  


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