播磨/ 感状山城



ファイルNo1584

前期赤松氏の主要城郭 特異な石垣

          南郭U下の石垣   

@ かんじょうさんじょう 
  別名 瓜生城 
A住所:相生市矢野町森〜瓜生
B目標地点:羅漢の里
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期/瓜生氏・赤松氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分(登り口から650mと表記)
J撮影・訪問時期:2000年08月・2019年06月
          2022年01月

  

道案内   ←登城口

山陽自動車道の龍野西インタで下り、右折して県道93号線を進みます。4Km先で小犬丸の信号で左折し県道5号線に入ります。5.2Km先の真広の信号で右折し県道44号線に入ります。(国道2号線の竜泉の信号で県道44号線に入り、約6Km先です。) 400m先の左手に羅漢の里の案内が出ています。ここで斜め左に入り、羅漢の里の案内に従い2.4Km先、羅漢の里に入って左手売店を越えたところ右手の駐車場です。 

訪城備忘録

羅漢の里に登り口があります。里の売店にて相生市発行の資料がいただけます。感状山の名前は赤松氏(則祐)に足利氏(尊氏)が新田との戦いにおいての感状を与えた事に由来するそうです。城跡は山上に多くの石垣が残り、特に南曲輪の石垣は見応え有ります。石垣は宇喜多氏時代のものという説もあるようです。赤松氏の城は石垣技術も進んでおり、時代を複合した城でしょうか? ただ、石は随所に使われていますが、古い形態の城で技巧的な縄張りというわけではなさそうです。この城に訪城したのは夏の真っ盛りで、山頂まで一気にのぼったら脱水症状になってしまい、緊急避難的にパンツひとつになって体を冷やしたです。誰もいなくてよかった^^;; これ以後、大丈夫と思っても、水はぜったいに欠かさないで山城に登るようになりました・・・。

2019年06月再訪
約20年ぶりに夕方に再訪しました。この城は前回アクシデントがあったので、よく覚えてる城跡です。^^; 登り口から長い階段を登っていくと物見台側(本来の登山道)と大手門側への道に分かれます。今回は大手門側から廻ってみました。崖横に細い道が続いていて、石がゴロゴロしている状況で落ち葉も多くすべりやすい道です。斜面は岩もゴロゴロしていて感じは白幡城の大手道のような雰囲気です。左上に石積みが見えてきたら岩場の斜面を登ります。登る箇所の先に見た目は竪堀のような箇所も確認できます。

岩場を登ると両側に低い石垣、明らかな石段の残る大手門に出ます。その上には石組みで囲まれた井戸跡があります。さらに上に上がると三の郭に致します。三の郭の左手は物見櫓で麓からの登城道です。右手に進むと主要部です。三の郭は低い段差があり幅もある郭です。右手の(今は仮設の階段が設置してあります)方向に登ります。

大きな岩がゴロゴロした斜面を登りきると南郭斜面の石垣に至ります。ここの石垣、大きな石を無造作に積んであるという感じです。見た目は戦国期の石積みに見えないので、古代城の転用なのかとも思ってしまいます。登りきると南北に長い郭です。ここも三の郭ほどではないですが、幅のある郭で、低い段差で区分けされています。側面には石垣も残ります。いったん下がり、再び登ると主郭です。主郭周囲を帯郭が廻り感じで、北側と西側の斜面に段郭が続きます。 

主郭からの眺望は播磨灘まで見渡せ気持ちがいいです。古い形式の城跡なんですが、堀切・竪堀という戦国の山城の典型的パーツがなく、特異な石垣で固められた城跡です。白旗城にも似てるようにも感じますが、石塁は本当に異様な感じすらする城跡です。

2022年01月再訪
前回に比べ、登城口に図解の説明板が設置してありました。快晴の中の登城でした。前回同様大手門跡から入り南郭群⇒北郭群・主郭と巡り、北側の井戸、出郭下の(伝)搦め手門も見てきました。南郭斜面のところがどんどんシダ、松が増えて石垣が見えなくなってます。逆に主要郭上は2019年に比べさらに木の伐採とかが進んでいるように見えました。主郭から下りていく北郭段郭群には石垣の痕跡もなく切岸のみの防御です。北郭群から西に進みと右手下の斜面に井戸が見えます。ここの井戸は大手門そばの井戸のように違和感はなくそうかなって思います。その先で三の郭へ戻るのですがその右手は出郭になります。西側斜面に石垣の残存部分が見られます。谷間に下りていくと(伝)搦め手門に至ります。この搦手手門、石垣も残存していますが急な斜面です。ここを下りていく・・・。なんか違和感ありです。

登り口の説明板
歴史

築城時期は定かではありません。鎌倉期に瓜生左衛門尉が築城したと伝わりますが、赤松則祐が築城の説もあります。建武三年(1336年)に赤松円心の三男の則祐は円心の白旗城と足利尊氏を助け、尊氏が京で南朝方に敗れ、九州へ落ち延びた際に新田義貞の軍に対して防戦しました。廃城も何時頃なのかも定かではないようですが、天正年間初期、羽柴(豊臣)秀吉の播磨攻めにおける城山城の赤松広秀が降伏した時期か三木城の別所長治が降伏した時期には落城したと考えられるようです。落城の際、姫が金の羽をもつ鶏を抱いて城内の井戸へ入水自殺したという伝説があり、元旦の朝に井戸の中から鶏の鳴き声が聞こえるらしいです。いろんな城跡にこんなお話はありますね。

詳細写真(2019年・2021年訪城)ページへ⇒⇒☆☆
大手門       主郭(一の郭)石積み
主郭(一の郭)と標柱・眺望
現地説明板より
城跡遠望
城跡遠望
  
大手門
大手門を上から
二の郭南郭斜面石垣群
二の郭南郭斜面石垣
段郭
二の郭南郭U斜面石垣
二の郭南U郭斜面石垣
北U郭から主郭(一の郭)方面
主郭(一の郭)
主郭(一の郭)石積み
主郭(一の郭)石積み
物見台
物見台の斜面
2000年訪城時の写真
2000年訪城
南U郭斜面石垣 2000年訪城
2000年訪城
2000年訪城
北U郭と斜面石垣 2000年訪城
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