伊予/ 甘崎城



ファイルNo1684

日本最古の水軍城?・藤堂高虎が総石垣の城に改修した海城
2019年07月、念願の渡海を果たしました^^

              残存度が一番ある石垣

@ あまさきじょう 
  別名:荒神城、岸の潮、甘崎古城 

A住所:今治市上浦町甘崎
    旧:越智郡上浦町

B目標地点:大三島インタ・古城島
C形式:海城  D比高:15m 
E現況:無人島

F遺構等:郭・石塁
G時代/人物:南北朝期/今岡氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
岸壁より沖160m(干潮時渡海可能約30分のみ)
J撮影・訪問時期:2007年03月・2014年08月
          2016年03月・2018年09月
         2019年07月 (2018年03月)

  

道案内 

西瀬戸自動車道(しまなみ街道)の大三島インタを下り、右折し1Km先の路地(城跡標識有)を左折し堤防まで行きます。沖合い160mのところの島が城跡です。
 
訪城備忘録

夏場だったら泳いで行けそうな距離にある小島が城跡でした。沖合160mであるため、大潮の干潮時には水深8cmくらいまでなるらしいので、本当に歩いて渡れるようです。但し、潮が満ちてくるまで40分くらいしかないらしいので、ビットと藤堂時代の石垣を見たらすぐに戻らないといけないらしいです。この日も干潮でも水深は70cm程度だったようで、覚悟が無いと渡れませんなぁ。岸から藤堂時代の石垣を望遠で写すのがせいいっぱいでした。 往時はこの城を石垣が巡っていたようですが、ほとんどが持ち去られたようで、大半は根石程度しか残っていませんが、南側だけ規模の大きな石垣が海面から飛び出しています。ビットも岸の反対側に多く残るようです。

2016年3月
夕方に寄ってみました。しかし、当然ですが渡海ができるわけでもなく、ただ岸壁から眺めてみるだけです。^^;
2018年09月
何度寄ってみても大潮を狙ってこないと渡れませんがなんども来てしまいますな(笑) この日は今までの中では一番潮が引いていたかも。この日は対岸から40mほどのところに砂場ができてました。もう少し(笑) 石垣が根元まで見えました。しかし、少し見ていたらすぐに満ちてきました。
2019年07月
とうとう渡海しました。^^V 当日は中潮でしたが、踝程度まで潮か引いてました。この日、私を入れて6名が渡海、内、お二人は主郭まで登っておいででしたが、私はやや遅れて渡海でしたので無理はせずに大石垣、根石、反対側のビット跡などを見学させてもらいました。いやぁ、やっと渡ったちゅう感激ですわ。ただ、私は先に戻ったんですが、この日の最後の方々は潮が満ちてきて道が消えかけてました。渡海には時間を気にしながら充分気を付けていただく必要があります。

説明板
歴史

伝承には天智天皇の頃、671年に唐からの攻撃に備え、勅命で築城されたとあるようで、上門島海防城と呼ばれたとされます。今でも海底に石列が残っているようです。この石塁の一部は古代の技法と認められるとのことです。南北朝の頃より河野氏の家臣の今岡氏が居城としたようで、時期は不明ですが戦国期には今岡民部大輔が居城したとあるようです。能島村上水軍との関わりが強かったようです。永禄年間は来島村上氏が属城とし、村上吉継が城主であったようです。慶長年間には今治城の藤堂高虎の支城となり、石垣の城に改修されました。慶長十三年(1608年)の高虎の津へ転封とともに廃城となったようです。

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石垣(2019.07上陸時撮影)
石垣(2018.09撮影)
石垣(2019.07上陸時撮影)
石垣基壇(根石)(2019.07上陸時撮影)
石垣基壇(根石)(2019.07上陸時撮影)
渡海地点から島を見る
  
2007年撮影
石垣の望遠写真
付属の小島
海岸線(石列などが見える)
   
しまなみ海道から全景(2015年5月)
石垣 (2014年8月)
南側から全景(2016.3)
西側海岸根石など石垣痕跡(2016.3撮影)
西側海岸根石など石垣痕跡(2018.09撮影)
西側海岸根石など石垣痕跡(2018.09撮影)
西側海岸根石など石垣痕跡(2018.09撮影)
南側石垣(2018.09撮影)
全景と後方は生口島としまなみ海道(2018.09撮影)
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