丹波 甲ケ岳城



ファイルNo3980


             主郭下堀切           

@ こうがだけじょう 
  別名 鴻ケ嶽城 

A住所:綾部市大島町
 

B目標地点:中筋小・薬師堂
C形式:山城  D比高:220m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堀・堅堀・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/内藤氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  40分

J撮影・訪問時期:2023年08月・2024年04月

  

道案内    ←登城口

舞鶴若狭自動車道の綾部インタを下り、府道77号線を右折し南下します。約1.6km先、由良川にかかる白根橋を越えます。白根橋南の信号で、直進して約1.2km先の西町の信号で府道8号線に入るか、あるいは、白根橋南の信号で府道は左折で、約1.4km先の川糸の信号で右折し府道8号線に入ります。西町の信号から府道8号線を進み、約2.8km先で左折し、市民プール・中筋小学校へ進みます。約100m先、プール・小学校前でT字を右折します。約160m先を左折し、約100m先の右手が薬師堂で、左手が広い広場になっていて城跡の説明板があります。説明板の裏手の上に祠があり、その横に左へ登って行く山道がありますが、これが城跡への登城道です。 (もし、この登城口を越えて左手に進むと右手へ砂防ダムに至ります。また、沢を渡って右手に登って行くと寺跡で、その柵沿いに登り、そのまま山に入ると途中から薄っすらとした道もなくなり、急斜面を尾根上の登城道まで直登になってしまいます。)

訪城備忘録

思い込みとは困ったもんです。前回は登城口がわからず説明板の所で断念、今回も登城口が判らず、尾根上まで直登してしまいましたが、なんのことはない、説明板の背後の祠の横にある道が登城口です。城跡とは違う方向に向いているためこれは城跡への道ではないと思い込んでしましました。登城道は道案内の通りです。

行きは結局は寺跡背後から急斜面を直登してしまいました。薮とかにはなってませんし、木々がありますので木につかまりながら登れますが急です。

城域は北から入って南西方向に大きな郭がふたつと主郭まで進み、主郭からの先の郭がふたつは南へ繋がっています。主郭南下も郭としては大きく、南端の郭は薮がきつい状況です。その南斜面には堅堀なのか自然地形なのかというような地形が放射線状に3条あります。

登城道はしっかりしてます。登城口から塹壕道を登って行きます。「甲ケ岳まで765m」のところで右折し、尾根道を登りますが、ここの反対側のピークは茶薄山城になります。 北側へ向いてうっすらと堀切痕跡がある感じで頂部に平坦地、南側の一段下に段郭があるという簡単な城です。この下の登城道は今は深い塹壕ですが往時は茶薄山城の堀切だったかもしれません。さらに登城道を登ると「甲ケ岳まで750m」の標識から「甲ケ岳まで640m」を通過し、上の尾根までの坂を登ります。上の尾根まで登ったら逆V方向の頂部から登城道上に平坦地があり、堅堀状の地形などもあり、野山砦(城)という名前も付けられているようです。さらに「甲ケ岳まで350m」くらいまでは尾根道ですが平坦地が幾つかありました。

最後の坂を登ると左手斜面に深い堅堀が見えます。ここから城域です。この堅堀非常に深く幅もあり急斜面です。自然の谷地形を成形したのかなとも思います。登城道は堅堀の根元下を通って堅堀を切ってる感じです。

最初の郭には郭の東側中央から入ります。虎口になっている感じには見えます。この郭の下、北から東にかけても郭があるようにも見えます。いずれにしても最初の郭は虎口南側は、尾根から見ると東西に上下二段になっている幅広の郭です。この郭と次の郭の間に大きな堀切(堀)があり、西端に土橋がありました。この堀切(堀)は尾根すべてに横たわっていてすごく長く、深いものです。それに繋がる堅堀がなく、ですから堀切というより堀ですね。次の郭も東西に二段になっていて東が低く、低いだけでなくすり鉢状の感じです。堀切(堀)側には堀切(堀)に沿って土塁があります。この郭は主郭に近づくと幅が狭くなっていて、その先には主郭下の深い堀切があります。この堀切は東斜面に堅堀で落ちています。堀切の向こう側は一番上がり、小郭があり、主郭に入る構造です。小郭は堀切側に土塁があり、これは馬出しちゅう事でしょうかね。小郭から主郭虎口で主郭ですがこの東斜面にも堅堀があります。

主郭は円形に近い大きな郭です。中央に秋葉神社の祠があります。南側に南の郭との境に土塁が残ります。主郭南下の郭も広いです。主郭との段差(切岸)はやや高く明瞭です。この郭の南側中央にその下の南端の郭との虎口があります。薮なんでわかりにくいですが、内舛形になってる感じです。南端の郭は薮でした。南端の郭の先、南の斜面には前述の通り、自然地形か人為的か判断つきにくい大きく、急斜面の堅堀状地形が放射状に3条あります。

比高で200m越えるため、後回しになっていた城でしたが、各パーツ(郭の広さ含め)が大きく、納得の山城でした。

歴史
麓の説明板




永禄七年(1564年)、八木城の守護代、内藤宗勝が福知山盆地への進出の拠点として築いたとされます。天正七年(1579年)、八木城の内藤氏は明智光秀に攻められ落城しました。この時の内藤氏の城主は内藤忠俊(内藤ジョアン)が退去した後の内藤有勝であったようです。この落城時、一族の内藤正勝が甲ケ岳城に逃れましたがここで没したようで、これで、ジョアンを除いて内藤氏は滅亡しました。その後、甲ケ岳城は廃城になったようです。(現地案内板より)

北側主要郭の間の堀切(堀)     主郭南下郭の虎口と土塁
由良川の府道9号線以久田橋付近から城跡遠望
由良川の府道9号線以久田橋付近から城跡遠望
  
登城口から寺跡の段坊跡越しに城跡遠望
城域最初の深い堅堀
城域最初の深い堅堀を上から
最初の堅堀を登城道から見る
最初の郭への虎口
最初の郭への虎口
城域最初の大きな郭(虎口左側)
城域最初の大きな郭(虎口右側) 
最初の郭の登城道を主郭へ向かう
 最初の郭と次の郭の間堀切(堀)
 最初の郭と次の郭の間堀切(堀)
 最初の郭と次の郭の間堀切(堀)<堀から土橋を見る>
 最初の郭と次の郭の間堀切(堀)
 最初の郭と次の郭の間堀切(堀)
 最初の郭と次の郭の間堀切(堀)と向こう側は土塁
次の郭から土塁と堀切(堀)を見る
次の郭の土塁(右側)
次の郭と主郭下(郭)との堀切
主郭下の堀切
主郭下の堀切
主郭下の堀切
主郭下小郭と主郭虎口とその横の堅堀
主郭より小郭と土塁
主郭
主郭土塁
主郭
  主郭南西下郭
南西下郭と主郭切岸
南端の郭と切岸
南斜面の堅堀状
南斜面の堅堀状
野山砦(城)<甲ケ岳城東砦>と言われる方もおいでの登城道の途中<付近>
 
堅堀状
堅堀状
坂道
茶薄山城  
北側堀切痕跡を横から
今の登城道(城域南端)
今の登城道(城域南端)を上から
北側堀切痕跡を横から
主郭
主郭南下郭

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