丹後 | 奥吉原城 |
ファイルNo3936 |
@ おくよしわらじょう |
道案内 | |||
舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクションから綾部宮津道路に入り、京丹後大宮インタを下り、左折し府道655号線に入ります。約2.5km先の酒戸古の信号で右折し国道312号線に入ります。約16km先、峰山町の長岡大橋の信号では左方向へ国道312号線をそのまま進みます。(右折は国道482号線です。) 約800m先の長岡の信号で右折し府道17号線に入ります。約3.2km先の信号(京丹後市役所のそば)で左折します。約4km道なりに進んだ右手に禅定寺があります。 寺で駐車させていただき、寺からさらに約100m先で左折し小さな橋を渡ります。(標識有) さらに約200m先左手が直登コースの入口です。この道をまだ約400mほど進むとゆっくりコースの入口で(標識にはあと15分と表記)、ここからは主郭背後の二重堀切に向かって登ります。 |
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訪城備忘録 | |||
主郭から見て北尾根と東尾根に大きく郭群が展開し、要所に尾根の郭同士を堀切で隔てているとともに、主郭の南下、南西下は畝状竪堀、二重堀切で防御しています。 行きは直登コース、帰りはゆっくりコースで戻りました。登り口から直線的に登って行きます。北尾根先端下に横堀状の窪みがありました。この周辺、竪堀と思われる窪みもあります。その上へ登るとまるで堀切と思うような切通の箇所があり、そこを通過し尾根まで登ると北尾根の郭群に入ります。わりと幅のある郭が数段繋がり、北尾根の根元に堀切があります。 北尾根から主郭に入る中間に段郭があります。ここと主郭の段差は結構高いです。東の尾根には主郭から下りられないのでこの段郭から斜面を渡って東尾根の根元に行くしかないです。その前に主郭ですが郭内が二段になっていて、主郭からは眺望はすごくいいです。主郭の周りに柵が巡らしてあるため主郭から直接東尾根や南斜面下二重堀切に下りることができません。 東尾根に回り込むと主郭下にまずは明瞭な堀切があります。さらにすぐにこの城最大の堀切があります。中央に土橋があり深さもある堀切です。ここより長く東尾根が続きます。中間にピークの郭があり、その先も尾根上の平坦地を進むとまた明瞭な堀切があります。これを越えると雰囲気がガラッと変わり、非常に大きな郭に出ます。南側にも大きな郭が付属し、さらに東端の別の郭があります。切岸が結構高いです。ここは遺構なのだろうか? 今までの戦闘的な山城の雰囲気は無いです。東端には細尾根なのか浅い堀切と土橋なのかわかりにくいところから城外になります。 東の尾根を戻り、尾根の根元の堀切を越えたら主郭の南側に回り込みます。主郭南東下のピークの小郭との間の堀切へ登ります。これを越えると主郭南斜面には幾つかの堅堀があります。しかし、残念ながら木々も多くよくわかりません。 これを越えるとこの城最大の見どころかもしれませんが、主郭南西下の二重堀切と堅堀です。なかなか深く鋭く明瞭です。長く西側下に堅堀が落ちており、堅堀が切れた後の斜面を下りたところがもうひとつの登り口でした。二重堅堀を下り始めるところで主郭の西側下を見るとこちらにも明瞭が堀切が残ってます。これは見落としをしてしまうので注意が必要かも。 主郭からの二つの尾根に見応えのある堀切がしっかり残る城跡でした。 |
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築城時期は定かでは無いようです。一色氏の支城として築城されたようです。 城主としては小西石見守の名があるようです。この小西地区は一色氏の奥座敷的な要素があったようです。天正十年(1582年)、細川藤孝(幽斎)勢に攻められ落城したとされます。 この城には「白椿の下に黄金千両が埋蔵されている」という伝説があるそうです。<五箇城にも黄金伝説があります。> |
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