道案内 |
舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクションから綾部宮津道路に入り、さらに宮津天橋立インタから宮津与謝道路に入り与謝天橋立インターで下り、左折し国道176号線に入ります。約3.2km先の石川の信号で斜め右へ国道312号線に入ります。約20km先、峰山町の長岡大橋で左折し国道312号線をそのまま進みます。約6.5km先右手五箇区公民館があり、この奥に慶徳院があります。慶徳院本堂への石段の左手に山へ向かっている道があり、ここを登ります。尾根まで登り、左手に進み高台まで登るとお堂があります。ここが城域の主郭北側の郭になります。
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訪城備忘録 |
丹後の城跡としては八幡山城と並んで大規模な城域のある城と言われます。高い切岸と多くの堀切、堅堀で防御された城です。お堂まで登るとまずは南への尾根を進みます。高い切岸を登ると副郭があり、その先の高い切岸の上が主郭です。主郭下東側の二つの支尾根に段郭があります。主郭は広く二段になってますが土塁とは無いです。
主郭の南側尾根をまだまだ進みます。主郭南下の堀切から始まり、三つの堀切を越えると中間の郭です。さらに南の尾根を進みます。小郭を幾つか越え、多重の堀切を越えると南端の郭群です。郭群の西側には畝状堅堀がありますが薄くてわからないです。南端の二重堀切は明瞭で大きな堅堀として斜面に落ちていました。
お堂まで戻り、北西の尾根に下りると堀切があり、郭を越えるとY字に郭群があり、両先端に堀切があります。また、お堂の郭の北東側尾根(慶徳寺から登ってきて尾根を右手に行ったところ)にも深い堀切と郭があります。
あまりに堀切が多すぎて写真を見てても縄張図のどの位置なのかわからなくなってます。^^; 比高的には適度な高さであり、アップダウンも少ないですし、城歩きを楽しめます。
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慶徳院
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嘉吉年間(1441〜44年)、一色氏の家臣の石川小治郎(安良山城の石川直義の弟)が築城したとされます。大永年間(1521〜28年)から天文年間(1532〜55年)の始め頃までは石川小次郎が居城としていましたが、天文十三年(1544年)に落城したようです。 天正年間(1573〜92年)に入り、一色氏の家臣の山岡民部が城主でありましたが、天正十年(1582年)、細川興元方の松井氏に攻められ落城したとされます。その際、黄金を隠したという伝説があるそうです。
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