道案内  |
銀閣寺(慈照寺)総門前で左に行きます。100m先の八神社前で右折しすすみます。朝鮮学校入口のところで、右手の駐車場から谷筋に登山道があります。(昔はこの駐車場のフエンスに中尾城の標識と説明板がありますが、今は見当たりません。) 中尾城へのルートはいくとかあります。
<ルート@>麓からだと大文字山説明板を過ぎてすぐ、左手の石垣が切れたところを左手に入り登って行きます。途中、大山出城(左手)を経由して中尾城に至ります。
<ルートA>大文字山への道を少し登ると左手に「中尾城水源の湧き水」があり、さらに登ると砂防ダムに至り、ここで、右側の階段状の山道を進みます。比高100mほどでいったん尾根に出て、裏手に小道がありここを下ります。U字に少し歩くと、砂防ダムから続く谷筋があり、ここをひたすら登ります。尾根が近づくと巨石と岩盤の崖になっていますが、左側の巨石に回り込むように道が続きます。巨石の上に達すると木々が伐採された坂が尾根まで続きます。尾根まで登ると、反対側山肌への小道があります。ここを降りて行き、北側に進むと、堀切というか塹壕風の箇所に達します。コブ状の道を越えて登ったところが主郭です。(このルートは2007年訪城のルートですが、ややわかりにくくやめておいた方がいいかもです。)
<ルートB>大文字火床からさらに大文字山山頂への登り道途中、鞍部に分岐の道があります。最初は塹壕道、途中から山肌斜面道などを通り、休憩椅子のある鞍部でルートAと合流します。そのまま尾根を進めば中尾城です。中尾城から大山出城を経由してルート@で麓に戻ります。
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訪城備忘録 |
鞍部から少し登ると堀切土橋のところです。この上から城域で、南の郭は相当に広い感じの削平地でした。一段高いところが主郭で南の郭との間は切岸ですが、土塁にもなっています。(主郭側からは低い) 主郭もそここ広く、その先の一段下がって北の郭の削平地があります。日本最初の鉄砲防御施設ということなんですが、削平地が並んでいる典型的な連郭式でした。中尾城から大山出城に向かう斜面道を下りるとまだ平坦地があります。見ようによっては城門のような地形です。その下斜面には自然地形でしょうえけど、大きな堅堀状がありました。斜面を下り、尾根道を進み再び少し登った右手側が大山出城です。
前回訪城時は、ほんとに城跡にいたのか自信がない・・・^^;;状態でした。前回は谷筋から登って来て、尾根上で右へ左へと相当にウロウロしました。大文字山に向かっても相当に登ってみました。塹壕風の道がずっと続いていました。北へ進む小道を彷徨っている中で城域に入ったという感じでした。この時は、結局は城跡の感触がないままでした。
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以前、麓にあった城跡標識
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天文十八年(1549年)には細川晴元、六角定頼が中心に足利義晴が築いたとされます。天文十九年(1550年)に義晴は近江で亡くなり、子の義輝が中尾城に入りますが、三好長慶に攻められ、自ら城に火をかけ落城しました。その後、三好方によって城は激しく破壊されたとされます。
資料には日本最初の鉄砲防御を施した城で、土塁・平地・井戸状凹地が良好に残存とあります。
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