山城 / 城山静原城



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                    中間の区画の下の郭の東側下に残る石垣  

@ しろやま・しずはらじょう 
  別名 

A住所:京都市左京区静市静原町 
B目標地点:城谷山・静原神社・阿弥陀寺
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:戦国期/明智氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社から35分

J撮影・訪問時期:2007年03月

  

道案内  

京都市内中心部より国道367号線で進み、花園橋で国道は右折になります。10Km先の大原上野町の信号で左折し県道40号線に入ります。県道は400m先で左折し、さらに200m先で斜め右に曲がります。2.4Km先が江文峠で、1.6Km先の左手が静原小学校(城山バス停)です。200m先で右折し橋を渡り静原集落に入ります。600m先の静原バス停前で右折し、100m先のT字で左折したところが静原神社、その隣が阿弥陀寺です。
  
訪城備忘録

静原神社から東に集落内を歩き、T字から50mほどで山に向かうアスファルト道があります。ここに左折し、進みます。集落を過ぎるとT字になりますので、右手に進みます。すぐに小さな川を渡ります。城跡はこの正面の山、尾根先端です。少し谷筋を北に登り、どこからか東の斜面に取り付くのがいいのでしょう。私は谷筋をひたすら北に登り、比高200mまで登ってしまい、そこから尾根を下りて行きました。帰りは一番南の郭から南の斜面を下りてみましたが、薄っすらですが道らしいものがあります。結局は民家の裏庭に出てしまいますが、山すそに民家の裏手に来れるあぜ道がありそうですので、ここから登るのもひとつと思われます。
さて、城跡ですが、大きく三区画の感じがします。北から南へ、尾根先端頂点の主郭とその南側下の郭、20mほど段差があって、中間の区画は上下の郭、中間の区画から段郭が何段かあり、城内で一番広い郭が南の斜面にあり、これが下段の区画です。主郭北側には城谷山へと続く尾根を切断するための大堀切があります。その先には監視の郭のような平坦地と西側斜面に竪堀風の窪みが2条ほどありましたが、遺構かは定かではないです。主郭は堀切側が大土塁となっています。主郭南側下の郭は二の郭相当で東側に大きな窪地があり、内側に石垣があります。水源地のような感じです。この郭の中央に虎口があり、石段風の石が散乱していました。虎口を出ると左右にスロープ状になっていて中間の区画へ一気に20mほど下ります。中間の区画は、上下2段と西側斜面に張り出した郭があります。この上下の郭は斜面に石垣が巡っています。下の郭の東側斜面の石垣が大きく残っています。この2段の郭の石垣は街道から見た時の威圧感を与えるというビジュアル的な要素もあったと考えられます。下の郭は大きさから虎口郭的です。下の郭の西側に虎口があり、折れて下段の区画に下りて行きます。下段の区画には城内では一番大きな郭があります。これは兵を収容した兵站基地という感じです。以上、あきらかに城谷山の遺構とは新しさがあり、石垣を多用した城となっていました。

  
主郭下の郭の虎口と石段?
歴史

天正元年(1573年)山本実尚を攻めた明智光秀が築城したとされます。その後は、街道を監視する城であったようです。天正十年(1582年)の本能寺の変後に明智氏滅亡時に廃城になったものと想像できます。

  
主郭北側堀切  主郭南側郭の窪地の石積み(水源地かな?)
    中間の区画の郭      中間の区画の下の郭の石垣(東側斜面)
  
中間の区画の上段の郭(三日月状の郭)の斜面に残る石垣とその郭 
窪地の石垣       主郭北側の堀切

近くの城・関連の城:城谷山・静原城