山城 / | 嵐山城 |
ファイルNo1662 |
観光地嵐山にもある無骨な山城
@ あらしやまじょう |
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【道案内】 京都の名勝嵐山の渡月橋を目指します。渡月橋から阪急嵐山駅に向かい、法輪寺を過ぎて100mで府道29号線は左カーブ(┤の交差点)ですが、路地に直進して100mほどの右手に京都一周トレイルの「西山26」と書かれた標識があり、そこから登ります。松尾山に向かって山道を登ります。山道に赤色のドラムカンが何箇所かに置いてあります。松尾山直下で青いドラムカンとトレイル説明板のところがあり、左折は苔寺方面、まっすぐ尾根道は松尾山、右手斜面の道が嵐山への道です。この先、尾根道をどんどん登ります。山道が大石で塞がれているところを越えて、さらに登ると「鳥獣保護区」の白い標柱があるところで道は左手の山肌を進みますが、やや右手の尾根への道を登って行った先が嵐山山頂となります。手前から郭が続きます。 ←城跡 城跡までの道案内ページ ←登り口(京都一周トレイル「西山26」標識の位置 【訪城備忘録】 城跡には登り口からコの字に進むことになります。まずは松尾山の下まで比高200mほど登ります。その後、北へ尾根道を進みながら比高100mほど登ることになります。この山上の尾根道は木戸風の箇所があったり、尾根道に土塁があったり、一騎駆けのような細尾根があったりして、どこから城域か迷います。また、各所のピークは見張り台に使われたんじゃないかと思うような地形です。松尾山にしても、松尾山から松尾神社にかけての斜面は古墳群で、松尾山山頂近くにも石室跡と思われる石組みや石が散乱していますが、ここも出城的に使えそうです。資料には城としてはなっていませんけどね。嵐山城には先週に続き連続して訪城になりました。先週は資料を見ずに来たため、道を間違えてしまい、山中を彷徨い、あげくに100mほど直登して、最終的に城跡手前で断念してしまいました。今回はハイキング道をしっかり歩き、最後の道の間違えないで嵐山山頂に辿り着きました。主郭であろう嵐山山頂は見るべき遺構はなく、主郭の北側の下がったところに郭、その先の斜面に堀切が認められますが、明瞭ではありません。注目は山頂より南東側、尾根道より一段下がったところにある山上御殿のような広い郭です。ここは幅30m、長さが60mほどあるでしょうか、山上にしては広い郭です。樹木で見通しはよくないですが、石が散乱しており、石積みがされていた箇所があったと思われます。この北側の一段上の尾根道の最初の斜面に僅かですが石積みが残ります。これともうひとつの見所は、トレイル道から外れ嵐山山頂への細い道を登りだしてすぐに右手に登ると尾根の郭にでます。(ここから渡月橋が見えます)この東の郭は嵐山山頂側に土塁があり、その先は堀切です。堀切を越えて急斜面を登ると山上御殿です。この東の郭の南側斜面に竪堀が明瞭に残ります。「鳥獣保護区」の白い標柱のところから、この郭の下に回りこむように行くと、この斜面には竪堀が最低4条認められます。これは畝状竪堀になっているようです。 2019年06月再訪城 12年ぶりでしたが、トレイルの入口の民家が無くなって更地になってました。2018年の台風で大木が相当に倒れていて山は荒れてます。しかし、地元の方が地道に整備されていて、城跡までの道は確保されています。時期的な事もあるんでしょうけど、主郭を含めて藪かも進んでいる感じに思えました。東の郭は郭内の倒木はそのままになってます。また、眺望がやや悪くなり。渡月橋が見えませんでした。(倒木に登ってなんとか見えましたが) 但し、尾根道途中に眺望の場所(渡月橋が正面に見える)が新たに設けられてました。いずれにしても季節的な事と昨年の台風の影響はあると思いますが、遺構は前回の方が見やすかったですね。 【歴史】 明応六年(1497年)、山城下五郡の守護代であった香西元長の築城とされます。香西元長は、管領細川政元の家臣でありましたが、永正四年(1507年)に政元を暗殺し、都の実権を握りました。しかしながら、百々橋の合戦で澄元を支援した細川高国らに敗れ討死しました。元長の討死が嵯峨野に伝わると、香西の悪政に耐えていた農民が蜂起して嵐山城へ乱入し、留守居の武士を皆殺しにしたということです。 |
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登城道から城跡までの道案内⇒** |
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