山城 / 妙顕寺城



ファイルNo1627

豊臣秀吉の山崎の合戦後の城

                                  城址碑と説明板   

@ みょうけんじじょう 
  別名 

A住所:京都市中京区古城町 
B目標地点:西福寺 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:寺・宅地 

F遺構等:碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/羽柴(豊臣)氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2006年11月

  
西福寺

【道案内】 

名神高速京都南インタを下り、国道1号線を京都中心部へ進みます。3Km先の京阪国道口の信号で右折(左折は国道171号線)し、東寺前を過ぎ800m先の九条油小路の信号で左折し堀川通りに入ります。JRのガードをくぐり西本願寺前を通過し3Km先の堀川五条で国道1号線は右折ですがそのまま堀川通り(府道38号線)を直進します。3.5Km先の二条城の手前、堀川御池の信号でいったん右折し、300m先、三本目の西洞院通で左折し、150m先で左折し押小路通りに入り(押小路通りは東から西への一方通行路です。)100m先右手のお寺に城址碑があります。二条城の向かい側の全○○ホテルの裏手になります。昔の住所の言い方ですと、押小路通小川西入北となるようですが、古城町という言う方が地図では調べやすいですよね。


   


【現況・訪城記録】

寺の山門横に城址碑と説明板があるのみです。

 
【歴史】

この地は平安期から鎌倉初期までの藤原氏の邸宅があった場所で、閑院と呼ばれていたところのようです。平安末期の高倉天皇の時代に大内裏が荒廃したため、この邸宅を臨時の皇居=里内裏として利用され、以後、後鳥羽天皇の即位など、後深草天皇までの90年余りの間、里内裏として使われたと伝わります。正元元年(1259年)に火災で焼失したものです。戦国期には、この地に妙顕寺がありましたが、天正十一年(1583年)に豊臣秀吉は寺を移転させ、京都の政庁としても城を築きました。城の規模は定かになっていませんが、周囲に堀を巡らせ、天守を持った城であったようです。普段は前田玄以が留守居役をし、政務をとったとされます。天正十四年(1586年)に聚楽第が完成し、廃城になったようです。<現地案内板より>


  
     
  
  

近くの城・関連の城:二条城 聚楽第